朱封大墓
From Wikipedia, the free encyclopedia
1987年と1989年の二度にわたり、3基の木槨墓が発掘された。そのうちの2基は二重槨一棺、残りの1基は一槨一棺の構造である。約4000年前の木槨墓としては最大規模である[1]。
二重槨一棺墓はいずれも同様の形状で、そのうち203号墓の墓口は長さ6.3m - 6.44m、幅4.1m - 4.35m、深さ1.48m - 1.72m。内槨の外側に高さ0.25m - 0.35mの生土二層台[注釈 1]があり、その生土二層台の上に外槨が置かれていた。さらに外槨の外側には熟土二層台[注釈 2]が築かれていた。こうして墓口から墓底までは、三段の階段状の構造に造られていた[1]。
外槨は「井」の字形で、長さ4.65m、幅2.75m、残高0.34m - 0.52m、厚さ0.12m - 0.16m。内槨も「井」の字形で、長さ3.85m、幅1.6m、残高0.50m - 0.55m、厚さは0.12m - 0.15mであった[1]。内槨には上蓋があった。内槨の中に2本の枕木が置かれ、その上に棺が置かれていた。棺は長さ2.6m、幅0.58m - 0.60m、残高0.3m、厚さ0.05m - 0.12mで、被葬者は1人であった[2]。
もうひとつの二重槨一棺墓の場合には、棺の片側に辺箱[注釈 3](へんしょう)が設けられ、また内槨の外側には脚箱(きゃくしょう)が設けられていた。この棺の被葬者は女性で、手には獐牙(ノロジカの牙)を握っていた[2]。
一槨一棺墓、すなわち202号墓は一部が破壊されていたが、やはり相当な規模の墓である。墓口の長さは6.68mあり、生土二層台をともなう。槨室は長さ4.38m、残存幅1.70m - 2.00mで、少なくとも3本以上の横木で受ける板の上蓋があった。棺は長さ2.64m、幅0.72mの大きさで、片側に小型の辺箱が設けられていた[2]。
これら3基の大型木槨墓の副葬品は、土器・骨器・玉器など多種多様なものである。土器には鼎・鬹・罍・高坏・盆・三足盆・盒・卵殻陶の杯などがあった[2]。玉器には鉞・刀・環・簪・頭冠飾・垂れ飾りなどがあった[3]。そのうち長さ10.3cmの玉簪は、半透明の乳白色で、両側に人面のレリーフが3つほどこされていた。また長さ23cmの頭冠飾は、玉笄と扇形の透かし彫りをほどこした玉を組み合わせ、さらに緑松石を象眼した造りで、他に類例を見ない[4]。
墓坑の規模の大きさや副葬品の豊かさから、山東龍山文化の首長墓と考えられている。木槨・木棺の墓室構造はのちの殷周時代の貴族墓や王墓の前身として注目される[5]。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 黄石林、朱乃誠『中国文化史ライブラリー 中国考古の重要発見』高木智見訳、日本エディタースクール出版部、2003年。ISBN 4-88888-330-0。
- 宮本一夫『中国の歴史01 神話から歴史へ 神話時代 夏王朝』講談社、2005年。ISBN 4-06-274051-6。