杉山康彦
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広島県広島市生まれ(父母の原籍は岐阜県)。愛知県第一中学校に1年通学後、東京陸軍幼年学校(42期)に進学。陸軍予科士官学校を経て、1944年4月に陸軍士官学校(57期)を卒業[1][2]、少尉に任官し近衛歩兵第三聯隊へ配属される。その後、スマトラ島(インドネシア)に中隊長として赴任[3]。中尉に任官後、陸軍士官学校区隊長(教官)を命ぜられ、日本への帰還途中にサイゴン(現ホーチミン市)にて終戦を迎える[4][5]。
サイゴンの日本軍司令部にて、敗戦処理に当たったのち、1946年8月に帰還。
1947年4月、東京大学文学部国文学科入学。
大学在学中に益田勝実、難波喜造とともに「日本文学史研究会」を結成し、1949年にガリ版刷りの雑誌『日本文学史研究』を創刊[6][7]。
1950年3月、東京大学文学部国文学科卒業。
1950年4月、東京大学大学院に進学するとともに、専修大学図書館司書就任。
1954年4月、専修大学講師就任、図書館司書兼務。
1966年4月、和光大学開学に伴い、和光大学人文学部に助教授として就任。
1968年4月、和光大学人文学部教授就任。
1978年6月20日、レニングラード大学(現サンクトペテルブルク大学)東洋学部日本語科創立80周年記念行事において客員教授として、「ロシア・ソビエト文学と日本文学」について講演[8]。
1982年1月、「核・安保を考える会」を立ち上げ、学内の教員等と『核・安保を考える』を創刊[4][5]。
1984から1987年まで、日本文学協会委員長[8]。
1988年10月から11月にかけて、北京外語学院(現北京外国語大学)にて客員教授として「日本文学史」について集中講義[8]。
1992年、第21回川崎市文化賞受賞[5][9]。
1993年4月から1997年3月まで、和光大学学長[5][10][11]。
1995年3月に和光大学 教授を定年退職。
1995年4月、和光大学名誉教授。
1995年から1997年まで和光大学総合文化研究所所長[12]。
2005年9月30日、心不全のため 81 歳にて永眠[5][13]。