李君球
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平陵郡公李義満の子として生まれた。若くして俠を自認し、書籍を渉猟した。貞観17年(643年)、斉王李祐が斉州の州城に拠って挙兵し乱を起こすと、君球は兄の子の李行均とともに平陵県城を守った。乱が鎮圧されると、太宗に称賛され、游撃将軍に抜擢されたが、平陵県は全節県と改称された。君球は左驍衛・義全府折衝都尉を歴任した[1]。
龍朔3年(663年)、高宗が高句麗を討とうとすると、君球は上疏してこれを諫めた。その上疏は聞き入れられなかった[2]。
ほどなく君球は蔚州刺史として出向した。赴任しないうちに、興州刺史に転じた。のちに揚州大都督府長史となった。その統治は厳粛で、民衆や官吏はかれをはばかり、盗賊も跡を絶った。ときに吐谷渾が侵入すると、君球はその対処のため霊州都督とされた。ほどなく在官のまま死去した[3]。