李孝本 From Wikipedia, the free encyclopedia 李 孝本(り こうほん、生年不詳 - 835年)は、唐の宗室。 元和年間、進士に及第した。刑部郎中に累進した。李訓や鄭注に頼って昇進を求めた。大和9年(835年)、舒元輿が宰相となると、孝本は李訓に任用されて侍御史・知御史台雑事を兼ね、知御史中丞事をつとめた、李訓による宦官誅殺の計画に参与した。11月21日(12月14日)、甘露の変で孝本は宦官十数人を殿廷で殺したが、仇士良らを取り逃がして文宗の身柄を確保され失敗した。孝本は単騎で鄭注のもとに逃げ込もうとした。咸陽県の西原で追っ手に捕らえられ、一族とともに処刑された[1][2][3][4]。 脚注 ↑ 旧唐書 1975, pp. 561–562. ↑ 旧唐書 1975, p. 4410. ↑ 旧唐書 1975, pp. 4397–4398. ↑ 新唐書 1975, p. 5325. 伝記資料 『旧唐書』巻169 列伝第119 『新唐書』巻179 列伝第104 参考文献 『旧唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00319-2。 『新唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00320-6。 Related Articles