李孝本

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李 孝本(り こうほん、生年不詳 - 835年)は、宗室

元和年間、進士に及第した。刑部郎中に累進した。李訓鄭注に頼って昇進を求めた。大和9年(835年)、舒元輿が宰相となると、孝本は李訓に任用されて侍御史・知御史台雑事を兼ね、知御史中丞事をつとめた、李訓による宦官誅殺の計画に参与した。11月21日12月14日)、甘露の変で孝本は宦官十数人を殿廷で殺したが、仇士良らを取り逃がして文宗の身柄を確保され失敗した。孝本は単騎で鄭注のもとに逃げ込もうとした。咸陽県の西原で追っ手に捕らえられ、一族とともに処刑された[1][2][3][4]

脚注

伝記資料

参考文献

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