李承勲 (後唐)

From Wikipedia, the free encyclopedia

李 承勲(り しょうくん、生年不詳 - 911年)は、末から五代十国時代にかけての官僚軍人

伊広とともに李克用に仕えて牙将となり、使節の仕事を得意とした。官を歴任して太原少尹となった。天祐8年(911年)、劉守光皇帝を僭称すると、承勲は晋王李存勗の命を受けて幽州へ使者として赴いた。劉守光は承勲に藩臣の使節の礼を取らせようとしたが、承勲はこれを聞き入れなかった[1]。10月、承勲は劉守光の怒りを買い、殺害された[2]

脚注

伝記資料

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI