後漢の高祖李皇后の同母弟にあたる。劉知遠に仕えて牙将となった。高祖劉知遠が即位すると、軍校を歴任し、防禦使を遥領した。乾祐3年(950年)、楊邠や史弘肇らが処刑されると、洪建は侍衛親軍馬歩軍都虞候となった。郭威が大名府で起兵すると、洪建は王殷の一族を殺すよう隠帝に命じられたが、ただ人を派遣してその家を監視させるにとどめたため、王殷の家族は殺されずにすんだ。郭威が開封府に入ると、洪建は捕らえられた。12月(951年1月)、王殷は洪建に恩義があったため、その死を免じるよう郭威に願い出たが、聞き入れられず、洪建は殺害された。弟に李業があった。