李遐

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李 遐(り か、生年不詳 - 937年)は、五代十国時代官僚本貫兗州[1]

若くして儒者となり、節操を保っていた。節度使の従事を歴任し、入朝して庫部員外郎に累進した。天福元年(936年)、後晋の高祖石敬瑭が即位し、皇子石重乂洛陽を守り治めることとなると、李遐はその有能を買われて、西都留守判官に任じられた。石重乂を補佐して、廉潔勤勉につとめ、洛陽の左蔵庫の監督を委ねられた。天福2年(937年)、張従賓が反乱を起こすと、李遐は絹織物を贈られて反乱に加担するよう求められたが、「詔書を奉じずに、命を受けることはできない」といって拒絶した。張従賓の部下に殺害された。石敬瑭にその死を惜しまれ、右諫議大夫の位を追贈された。その母の田氏は、京兆郡太君に封じられた[1]

脚注

伝記資料

参考文献

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