李韓烈
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略歴

全羅南道和順郡綾州面出身。光州東山国民学校を経て、光州東城中学校に進学[1]。同校2年生のときに5・18光州民主化運動を目撃し、学生運動に身を捧ぐことを決心する[1]。1985年、光州眞興高等学校卒業。浪人生活を経て、1986年に延世大学校経営学部に入学。サークル「漫画愛」を仲間とともに創立し、学生運動に加わった。
1987年1月14日に起きた朴鍾哲拷問致死事件に抗議し、同年6月9日、拷問殺人隠蔽糾弾及び護憲撤廃国民大会で学外闘争に出た。しかし、戦闘警察が発射した催涙弾SY-44の破片を後頭部に受け重体に陥った。
倒れた李韓烈を同じ学校の学生であるイ・ジョンチョルが抱きかかえる姿をロイターの特派員だったチョン・テウォン(정태원)がカメラに収めた。同日18時30分、ロイターは「学生一人死亡」というキャプションをつけて写真を配信した。翌10日、当時夕刊紙だった中央日報が1面に写真を掲載した。この写真は運動の起爆剤となり、また韓国の民主化闘争のシンボルともなった[2][3]。
7月5日午前2時5分、李の死亡が確認された。20歳没。同日、延世大学では学友ら3千人による緊急抗議集会が開かれた[4]。
7月9日に「故李韓烈烈士民主国民葬」が延世大学校総学生会の主催で行なわれた。2万5千人が参加した追悼集会では、民主正義党代表委員の盧泰愚がおくった花環が学生たちの手によって焼かれた。延世大学本館前を出発した葬儀隊は、新村ロータリーからソウル特別市市庁舎前まで進んだ。市庁舎前で棺を霊柩車に乗せ、学生たちはバス90台と乗用車で光州へ向かった[4]。到着すると光州望月洞にある光州事件犠牲者墓地まで行進した。参加者は、ソウル100万、光州50万、韓国全土で160万人に及んだ[5][6]。
演じた俳優
- 『1987、ある闘いの真実』(2017年) - カン・ドンウォン[7]