朴鍾哲

大韓民国の民主活動家 (1964-1987) From Wikipedia, the free encyclopedia

朴 鍾哲(パク・チョンチョル[1]、박종철、ぼく しょうてつ、1964年4月1日 - 1987年1月14日)は、大韓民国学生運動家。治安本部の取り調べ中に拷問により死亡した。その死は6月民主抗争に強い影響を与え、韓国の民主化闘争の象徴となった。

生誕 (1964-04-01) 1964年4月1日
大韓民国の旗 韓国釜山直轄市
死没 (1987-01-14) 1987年1月14日(22歳没)
大韓民国の旗 韓国ソウル特別市龍山区葛月洞
死因 拷問による窒息
墓地 牡丹公園民族民主烈士墓地(南楊州市)
概要 パク・チョンチョル 朴 鍾哲, 生誕 ...
パク・チョンチョル
朴 鍾哲
生誕 (1964-04-01) 1964年4月1日
大韓民国の旗 韓国釜山直轄市
死没 (1987-01-14) 1987年1月14日(22歳没)
大韓民国の旗 韓国ソウル特別市龍山区葛月洞
死因 拷問による窒息
墓地 牡丹公園民族民主烈士墓地(南楊州市)
記念碑 ソウル大学(1997年)
惠光高等学校(2004年)
冠岳区大学5道(2018年)
国籍 大韓民国の旗 韓国
時代 第五共和国
影響を与えたもの 6月民主抗争
活動拠点 ソウル
テンプレートを表示
閉じる
ハングル 박종철
漢字 朴鍾哲
発音: パク・チョンチョル
日本語読み: ぼく しょうてつ
概要 朴 鍾哲, 各種表記 ...
朴 鍾哲
各種表記
ハングル 박종철
漢字 朴鍾哲
発音: パク・チョンチョル
日本語読み: ぼく しょうてつ
テンプレートを表示
閉じる

経歴

釜山直轄市出身。1964年4月1日に生まれたが、住民登録上は「1965年4月1日」と記されている。教育部の機関である韓国学中央研究院の公式サイトも「1965年4月1日」と明記している[2]。釜山永南第一中学校卒業。1983年2月に惠光高等学校を卒業[3]。一浪し、1984年3月にソウル大学校言語学科に入学[2][4]

1986年、言語学科の学生会長に立候補し当選した。同年4月11日、清渓被覆労組合法化要求デモに参加し、その過程で逮捕され、懲役10月・執行猶予2年の刑を宣告された。同年7月15日に釈放された[2][4]

拷問致死事件

概要 朴鍾哲拷問致死事件, 日付 ...
朴鍾哲拷問致死事件
朴鍾哲記念展示室(旧治安本部対共保安分室)に残された拷問現場
日付 1987年1月14日
午前11時頃
死亡者 1人(朴鍾哲)
犯人 治安本部取調官5名
容疑 特定犯罪加重処罰法違反
動機 指名手配者の捜査
管轄 ソウル地検
テンプレートを表示
閉じる

南営洞対共分室に連行

1987年1月14日午前6時40分、治安本部の刑事らはソウルの新林洞にある朴鍾哲の下宿に踏み込み、朴を連行した。午前8時に朴を乗せた車は南営洞対共分室に到着した[5]。連行した目的は大学の先輩で民主化推進委員会結成などで1985年から指名手配中の朴鍾雲(パク・チョンウン)の所在地を訊きだすためだった。朴が所在地を言わないと、午前10時40分頃、刑事らは水責めの拷問を始めた[6][7]。拷問に加わった者は以下のとおり。

  • チョ・ハンギョン(조한경) - 捜査班長。41歳。最初の逮捕者。
  • カン・ジンギュ(강진규) - 警査。29歳。最初の逮捕者。
  • ファン・ジョンウン(황정웅) - 警衛。41歳。
  • パン・クムゴン(반금곤)[注 1] - 警長。44歳。
  • イ・ジョンホ(이정호) - 警長。29歳。

チョが指揮をとり、服を脱がし手足をタオルで縛り、右腕をパン、左腕をファンが固め、両足をイが抱え、カンが頭を浴槽の水に数回浸けた[6]。水責めの際に浴槽の縁で胸部を圧迫され窒息した。

14日午前11時頃、刑事らは車で5分の距離にある中央大学龍山病院に押し寄せ、内科医のオ・ヨンサン朝鮮語版に緊急往診を依頼した。水の飲み過ぎで倒れたはずの朴が全身ずぶ濡れの下着姿で横たわり、床一面も水浸しだったことからオ医師は警察の説明が虚偽であると見抜いた。すでに死亡した朴鍾哲を相手に30分間心肺蘇生術を行い、その後、刑事らは死亡した朴鍾哲を警察病院に移送した[9]

医師・検事の対応

1月14日16時頃、刑事が再びオ医師を訪ね、死亡診断書の作成を求めた。オ医師は変死扱いになり司法解剖されることを狙って死因不詳と記入した[9]。診断書を書いてからしばらくして、オ医師は自分の診療室の隣のトイレで記者と会った。記者は診療室の前を監視していた刑事の目を避けてトイレに隠れていた。「南営洞に行ったのか」「そうだ」「学生が死亡したのは事実か」「そうだ」と1分足らずの短い時間に事実確認だけが行われ、オ医師は急いで立ち去った[9]

遺体を火葬し証拠隠滅を図ろうとした警察は、国立科学捜査研究院の解剖医ファン・ジョクジュンに対し、解剖を行わずに所見書の偽装をしろと命じる。この時、口止め料として100万ウォンを手渡した[10]。ファンは一晩熟慮の末、命令に逆らうことを決意する。

19時40分頃、対共捜査員2人がソウル中央検察庁を訪れた。ソウル地検の事務所には崔桓(チェ・ファン)朝鮮語版公安部長がいた。警察は当日中の処理を要請するが崔桓は拒否した[9][11]。遺族との対面もないまま火葬することを知った崔桓公安部長は直感的に拷問死を悟り、2時間説得をして観念させた上で遺体保存命令を下す[6]。警察と検察が深い協力関係にあった当時としては異例の対応であった。

15日午前、崔公安部長が司法解剖を指示する。崔は姜玟昌(カン・ミンチャン)治安本部長に「夜道に気をつけろ」などと脅迫を受けている[11]。警察病院を懐柔し遺体を渡そうとしない姜本部長に対し、崔は公務執行妨害での逮捕をちらつかせ解剖に同意させる。なおも、警察病院での実施を望む本部長に対し、崔が民間病院を主張し、漢陽大学病院に決まる[6]

同日午前7時30分、中央日報の法曹担当のシン・ソンホ朝鮮語版記者は検察庁舎に入り、各階を回った。午前9時50分にエレベーターで10階に行き、普段親しくしていたイ・ホンギュ公安4課長と会った。イ・ホンギュはシン記者にソウル大学の学生が警察の取り調べ中に死亡したことを伝えた。場所が南営洞だとわかったとき、シンは「お茶を飲むのにも片手が震え、両手で茶碗を支えて飲むほどだった」という。部屋を出たシンが会社に電話をすると、イ・ドゥソク社会部長はシンや他の記者に対し、追加取材と裏取りを命じた。午後12時、当時夕刊紙だった中央日報の初版印刷が始まりかけたときに、シンは社に電話で死亡した大学生の名と記事の文章を伝えた。編集局長代理が輪転機を立て、記事を社会面に押し込んだ。「警察で調査を受けた大学生、ショック死」という見出しのスクープ記事が同日午後の中央日報に掲載された[12][13]

同日夕方、スクープ報道を受けて治安本部は記者会見を行い「持病による心臓発作」であると虚偽の説明をした。この時、姜本部長が発した「机をバンと叩いたらアッと叫んで死ぬとは(책상을 탁 치니 억 하고 죽다니)」は流行語にもなった。この発言は後に歴史教科書にも掲載されたが、2013年に政府が出版社に対し修正命令を出した[14]。安商守らが中心となり「朴鐘哲死亡疑惑捜査班」が組まれたが、警察のシナリオ通りに事が進み、目立った成果は出なかった。捜査班から崔は排除された。安の功績については諸説あり[6]

15日20時頃、安商守(アン・サンス)検事の指揮で、朴の叔父の立会いのもと司法解剖が行われた[6]

16日、東亜日報で遺体の状態(あざ・出血、水で膨れ上がった胃など)が明らかになり、取調官による拷問疑惑が起こった[9]。オ医師は記者の取材に対し、水責めによる拷問死であることを示唆するため「湿性ラ音」など「水」をイメージさせる単語を多用した。

17日、新民党は朴の拷問死の真相究明のため、臨時国会招集を要求[15]

19日、東亜日報が朝刊一面に「水拷問途中に窒息死」と見出しを掲げ、記事にした[16]

処分

19日、警察が事実を認め「一部の警察官の過度な職務意欲により発生した不祥事」として現場検証もせず、拷問致死に関わった5人のうち、チョ・ハンギョンとカン・ジンギュのみを逮捕し事件の沈静化を図った[17]。パク・チョウォン治安監は2人に口止めを求めるとともに、1億円が入ったそれぞれの名義の預金通帳を見せ、早期釈放と家族の生活費の保証を約束をした[6]

20日、内務部長官と治安本部の姜本部長は更迭された。新内務部長官には鄭鎬容(チョン・ホヨン)が、新治安本部長には李永昶(イ・ヨンチャン)が任命された[15]。鄭鎬容は「人が人を殴れるわけがない」と拷問の詳細を明らかにしなかった。鄭は光州事件の特戦司令官であったことから、さらに人々の疑念を招いた。

真相解明

永登浦刑務所朝鮮語版の安裕(アン・ユ)保安係長は、パク・チョウォン治安監と収監された二人の刑事の面会の場に立ち会い、パク・チョウォンが1億円ずつ入った預金通帳を見せ、二人を懐柔しようとした現場を目撃した[18]。アン・ユは会話の内容から新たな3人の容疑者の存在を面談記録に残した(のちに発覚を恐れたアン自身が廃棄[19])。アン・ユは前年の仁川事態で逮捕され同刑務所に収監中だった活動家のイ・ブヨン朝鮮語版にこのことを伝えた。イはハン・ジェドン刑務官に筆記用具を借りて手紙を作成し、ハンはチョン・ビョンヨン元刑務官らの協力を得てイの手紙を外部に伝達した。最終的に民主化活動家の金正男(キム・ジョンナム。のちの教育文化首席秘書官)に渡った。手紙の伝達は4月上旬までに計3回行われた(イの情報源や執筆、伝達方法は長年謎だったが、2010年に永登浦刑務所の現役看守ファンの書籍により詳細が明らかになった)[20]

5月18日、「光州民主化運動7周年追悼ミサ」がソウル明洞聖堂で開かれた。追悼ミサのあと、天主教正義具現全国司祭団金勝勲(キム・スンフン)神父は「朴鍾哲君の拷問致死事件の真犯人は別にあります」と語り始めた。直接拷問を行った刑事がほかに3人いることを明かし、これを隠蔽した治安本部の幹部4人の名前を暴露した[21][22]。5月1日に結党されたばかりの統一民主党も独自調査に動いた。

同月21日、拷問致死に関わった警察官のうち、残りのファン・ジョンウン、バン・クムゴン、イ・ジョンホの3人が追加逮捕された[23]。ここでも警察上層部は隠蔽指示を否定した。

同月29日、パク・チョウォン治安監、ユ・ジョンバン警正、 パク・ウォンテク警正が犯人逃避罪で逮捕された[24]。(1993年2月にパク治安監懲役1年6月、執行猶予3年。ユ警正、パク警正懲役1年、執行猶予2年確定)

7月4日、拷問致死事件の1審宣告公判がソウル地裁で行われた。チョ、カンは懲役15年、バンは懲役8年、ファンは懲役7年、イは懲役5年が言い渡された。2審でチョ10年、カン8年、バン6年、ファン5年、イ3年と減刑され、1988年2月に確定した。のち仮釈放[24]

1988年1月12日、東亜日報にファン解剖医の日誌が公開され、15日に姜元本部長が隠蔽操作などの容疑で逮捕される。1審有罪、2審無罪の後、1993年7月に懲役8月、執行猶予2年が確定した[25]

抗議活動

野党や在野の金大中が対応を激しく批判し、警察発表に信頼性がないとして真相究明のため国政調査権発動の決議案を提出する。

1988年2月7日、全国で追悼集会が開かれる。釜山でのデモを主導した弁護士時代の盧武鉉文在寅を含む798人が警察に連行される[26]

その後もソウルを中心に抗議デモが行われ、兼ねてからの大統領直選制改憲運動と相まって全国に拡大した。

4・13護憲措置朝鮮語版」により一旦は小康化したが、5月18日に事件の真相が暴露されたことで再び活性化した。

6月9日、翌日に控えた「拷問致死隠蔽糾弾及び憲法改正国民大会」の決起集会に参加した延世大生の李韓烈(イ・ハンニョル)がデモ中に戦闘警察が発射した催涙弾を頭部に受け、7月5日に死亡した。李の被弾事件は朴と共に民主化運動の起爆剤となり、さらにデモが拡大していった。

6月29日、全斗煥政権は時局収拾のため、民主正義党大統領候補の盧泰愚をして、いわゆる「6・29宣言」を発表させた[27][28]

死後

1997年、ソウル大学キャンパスに胸像と追悼碑が設置される[29]

2000年に朴鍾雲が保守政党のハンナラ党に入党したため、鍾哲の遺族や関係者と疎遠になる[30]。(鍾雲は以後、国政選挙に3度落選)

2001年2月26日、ソウル大学言語学科が名誉卒業生の称号を授与する。

2002年6月27日、「民主化運動関連者の名誉回復及び補償審議委員会」が父親の朴正基を民主化運動関連者に認定する[31]。(認定理由は1991年の警察による明知大生死亡事件への抗議活動の功績)

2003年、(社)民主烈士朴鍾哲記念事業会が「朴鍾哲人権賞」を設立する。第一回受賞者は学生運動出身の政治家李仁榮。

2004年、惠光高等学校に追悼碑が設置される。

2007年、旧治安本部対共保安分室(現警察庁人権センター)の一部が朴鍾哲記念展示室として公開される[32]

2016年8月、釜山大音楽学科名誉教授ら26名により不平の合唱団英語版「朴鍾哲合唱団」が結成され[33]、12月の朴槿惠大統領弾劾ろうそく集会に参加する。(2018年5月に創立公演を行う[34]

2018年1月、下宿地のソウル冠岳区新林洞大学5道が「朴鍾哲通り」と命名され記念プレートが設置される。同時に2019年オープン予定の記念公園と記念館の建設が発表された[35]。宣布式には招待されていない朴鍾雲も出席した[30]

朴鍾哲を題材にした作品

  • 鄭浩承(チョン・ホスン)『届かなかった手紙(부치지 않은 편지)』(1987年) - 詩集『夜明けの手紙(새벽편지)』に収録。

音楽

  • キム・グァンソク 『届かなかった手紙』(1996年) - 鄭の詩に詩人兼シンガーソングライターのペク・チャンウがメロディを付けた。キムの死後発表されたアルバム『歌客』に収録。 2009年5月、盧武鉉元大統領の追悼会場のBGMとして用いられた[36]。2018年5月、5.18民主化運動記念式典においてミュージカル俳優のミン・ウヒョク朝鮮語版が独唱した[37]
  • キム・ヨンナム『他人の痛み』(2017年) - 追悼曲。作詞イ・サンハ 作曲イ・ソンジ[38]

ドラマ

  • 三金時代』(1998年2月25日~5月17日、SBS)21話にて拷問致死事件が取り上げられている。朴鐘哲 役:李世彰
  • 第5共和国』(2005年、MBC、第37回 - 第39回) - 朴鐘哲 役:チェ・ドンソン(釜山出身ソウル大学在学の一般人[39]

映画

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI