村井米子

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1948年

村井 米子(むらい よねこ、1901年11月23日[1] - 1986年12月19日[1])は、日本の大正 - 昭和時代の女性登山家随筆家日本の女性登山家の草分けとして著名[1]村井弦斎村井多嘉子の長女で、『食道楽』、『釣道楽』などに解説を執筆している。神奈川県出身。東京女子大学[2]。婚姻中は黒田姓を名乗った。

1917年大正6年)[1]16歳で富士山に初登頂し、その後、登山家として全国の山々を歩き、マタギの人々とも交わり、彼らの食文化について執筆している。富士山、北アルプスなどにしたしみ、日本の女性登山家の草分けとなる。1923年(大正12年)、黒田鎮夫(黒田正夫の弟)と結婚(のち離婚)。1926年、日本自然保護協会の設立に参加した。

1934年(昭和9年)にNHK入社。同年から1943年まで教養部のディレクターとして家庭番組の企画、制作を担当。1954年ごろのラジオ番組「食べある記」で全国の郷土料理を紹介する声として知られた[3]

割烹着の発明者の娘[4]で、家庭料理や台所での工夫について著作多数。

1935年、ヒュッテ霧ヶ峰で催された「山の講習会」において、柳田国男の講義を聞いて以後、民俗学への関心を深め、柳田の書斎で行われた女性民俗学研究会に参加し、その会誌『女性と経験』の編集責任者をつとめる[3]

1967年、文部省登山研修所が開所された際の運営委員となる[3]。1983年、日本山岳会名誉会員[3]

1986年秋に、84歳で八幡平登山が生涯最後の山行[3]。 1986年12月19日死去。85歳。著作に『山の明け暮れ』など。没後、米子宅に保存されていた村井弦斎資料3,530点は、神奈川近代文学館に寄贈された。

著書

脚注

外部リンク

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