中学校卒業後、縁戚にあたる新規開業調教師の坂田正行厩舎に入門。清水英次は兄弟子にあたる。馬事公苑騎手養成短期課程を受講後、1975年に騎手免許を取得。同年3月1日に正騎手としてデビューし、同日第9競走で初勝利を挙げた。
デビュー2年目に鎖骨骨折による休養を経験したが、徐々に頭角を現し、5年目の1979年にニチドウアラシで金鯱賞に優勝し、重賞を初制覇。同年42勝を挙げて全国リーディング12位に付ける躍進を見せた。翌年にはニチドウタローで天皇賞(春)を制し八大競走に初優勝した。以降、1984年に厩舎の都合によりフリーランスに転向したあとも、常にランキング10位近辺をうかがう中堅上位騎手として安定した成績を残した。メジロデュレンとのコンビで菊花賞(1986年)、有馬記念(1987年)を制したほか、宝塚記念(1985年・スズカコバン、1995年・ダンツシアトル)、阪神3歳S(1988年・ラッキーゲラン)、優駿牝馬(1992年・アドラーブル)と通算G1級レースを7勝した。
しかし1990年代後半から徐々に勝利数が減少し、2001年には8勝でデビュー以来初のひと桁勝利に終わると、翌年も同様の成績に終わり、2003年12月10日に騎手を引退した。
通算成績は972勝で、1000勝まで28勝を残しての引退だった。
引退後は調教助手に転業し、栗東トレーニングセンターの吉岡八郎厩舎に所属。2008年からは池江泰郎厩舎所属となり、2011年の池江泰郎の定年に伴う厩舎解散により、高野友和厩舎に移籍した。
「人の進路を押しのけてまで乗りたくない[1]」とする考えから、非常にクリーンな騎乗振りで知られ「フェアプレー男」の異名も与えられていた。また、フェアプレー賞は馬を真っ直ぐ走らせる技術の証左ともいえ、村本自身も「貰えるというのは名誉なこと[2]」と語っていた。そのフェアプレー賞は13回受賞しており、これはJRA騎手では藤田伸二(16回。2007年に村本の記録を更新)に次ぐ歴代第2位の受賞回数を誇るが、制裁点が0になった年は一度もないため、特別模範騎手賞は受賞していない。