池江泰郎

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1941-03-01) 1941年3月1日(85歳)
池江泰郎
2010年ラジオNIKKEI杯2歳S表彰式
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮崎県北諸県郡高城町
(現・都城市
生年月日 (1941-03-01) 1941年3月1日(85歳)
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会
所属厩舎 相羽仙一京都(1957年-1963年)
橋本正晴・京都(1963年-1964年)
浅見国一・京都-栗東(1964年-引退)
初免許年 1959年
免許区分 平地障害
騎手引退日 1978年2月28日
重賞勝利 17勝
通算勝利 3275戦368勝
調教師情報
初免許年 1978年3月1日(1979年開業)
調教師引退日 2011年2月28日(定年
重賞勝利 75勝(うち地方5勝、国外2勝)
G1級勝利 21勝(うち地方3勝、国外1勝)
通算勝利 6768戦845勝[注 1]
経歴
所属 栗東T.C.(1978年-2011年)
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池江 泰郎(いけえ やすお、1941年3月1日 - )は、日本中央競馬会(JRA)の元調教師、元騎手で現在は競馬評論家馬主である。

騎手時代には「逃げの池江」の異名を取り、通算3275戦368勝、うち重賞で17勝を挙げた。代表的騎乗馬にはヤマピットがいる。1979年に調教師へ転身、メジロデュレンによる菊花賞を始めとして数々のGI級競走を制し、1994年にJRA顕彰馬に選出されたメジロマックイーン、日本生産馬として初めて国外の国際GI競走を制したステイゴールド、2005年に中央競馬史上6頭目のクラシック三冠を達成したディープインパクト(JRA顕彰馬)など、数々の活躍馬を手掛けた。2011年に調教師引退。

長男の池江泰寿も調教師で、親子とも現役の間、新聞等では「池江郎」と表記された。泰寿は2011年にオルフェーヴルでディープインパクト以来史上7頭目の牡馬クラシック三冠制覇を達成し、これによって史上初の親子での三冠馬のトレーナーとなった。兄は中央競馬在籍時代のオグリキャップ厩務員を担当していた池江敏郎。甥は同厩舎所属の調教助手である池江敏行

経歴

少年時代

1941年、宮崎県北諸県郡高城町(現・都城市)に生まれる。五人兄妹の四男であり、後年に同じく競馬界に入る敏郎は次兄である。父は太平洋戦争中にレイテ島の戦いで戦死し、以後は母子家庭のなかで育てられた[1]。子供の頃から敏捷で、中学校では器械体操部に所属した。3年生の時、教師から勧められて日本中央競馬会の騎手養成長期課程を受験。合格後、東京都世田谷区馬事公苑に長期課程第7期生として入所した。同期生には高橋成忠吉岡八郎福永甲野元昭などがいる。野元は北諸県郡の別の学校で池江と同じく体操部に所属しており、中学時代から顔見知りで、受験会場も同じあったという[2]

1957年に騎手見習いとして京都競馬場相羽仙一厩舎に入門。兄弟子には後に大きな影響を受け、池江が「師匠」として相羽と並び称する[3]浅見国一がいた。

騎手時代

1959年に騎手免許を取得し、相羽厩舎所属騎手としてデビューした。4月5日に初騎乗、初勝利は同期の中で最も遅く、11月7日にヤマヒサで挙げた。初年度はこの1勝のみだったが、翌年7勝、3年目に19勝と徐々に成績を伸ばし、4年目の1962年にはヤマジヨシイで京都大障害(秋)を制し、重賞初勝利を挙げた。翌年にはヒメカップでアラブ大賞典タマツバキ記念(秋)を制し、平地重賞勝利も挙げる。しかし同年に相羽が癌で死去し、橋本正晴厩舎に一時移籍の後、相羽の後を継いだ浅見国一の厩舎に再移籍した。騎手時代に先行策を得意としていた浅見の薫陶を受けて、池江も逃げ戦法を得意とするようになり、関西では「逃げの池江」と称された[4]

以後中堅騎手として定着、最も知られた騎乗馬は三度の年度表彰を受賞した優駿牝馬(オークス)優勝馬ヤマピットである。同馬とのコンビでは重賞4勝を挙げたが、桜花賞で単勝支持率59%という圧倒的1番人気に推されながら、逃げ馬の同馬を逃げさせられず、馬群の中に置かれたまま大敗(12着)を喫したことで、オークスのみ保田隆芳が騎乗していた。この2年後のオークスではケイサンタで2着となっているが、騎手時代の池江は八大競走に勝利することはできなかった。一方でその騎乗技術については高い評価も受けており、『ダービーニュース』記者の山口進は「逃げの池江といえば泣く子も黙るほど知れ渡っており、ペース判断の確かさでは東の郷原か、西の池江かといっても決して過言ではないだろう」と述べている[5]

1978年に調教師免許を取得。これに伴い、同年2月に騎手を引退して調教師に転身した。騎手通算成績は3275戦368勝、うち重賞17勝。

調教師時代

免許取得の翌年に滋賀県栗東トレーニングセンターに厩舎を開業した。数年は成績が挙がらず下位に低迷していたが、浅見と関係が深いメジロ牧場錦岡牧場の関係馬を多数預託されたことで、徐々に成績を上向かせていった[6]。1985年にメジロトーマス金杯(西)を制し、調教師として重賞を初勝利。さらに翌1986年にはメジロデュレンが菊花賞を制し、騎手・調教師生活を通じて初めてのGI級競走優勝を果たした。同馬はその翌年の有馬記念にも優勝。1988年にはラッキーゲラン阪神3歳ステークスを制し、3つめのGI勝利となった。

調教師として飛躍の転機をもたらしたのが、メジロデュレンの半弟・メジロマックイーンであった[7]。同馬は1990年にデビューし、同年の菊花賞でデュレンとの兄弟制覇を達成。翌年の天皇賞(春)では、馬主であるメジロ牧場の宿願であった「父子三代天皇賞制覇」も達成し、菊花賞から4年連続でGI競走を制するなど長く競馬界の中心を担った。

引退後はJRA顕彰馬となったマックイーンの活躍で、池江も調教師として大きな注目を集め、従来の中心顧客であったメジロや錦岡以外の有力馬主から所有馬を預託されるようになった[7]。特に質が変わったのが、日本最大の競走馬生産組織である社台グループからの預託馬であった[7]。1994年から圧倒的な勢いを示していたサンデーサイレンス産駒の有力馬が相次いで池江の管理馬となり、同年池江は36勝を挙げて全国ランキングで4位と躍進、1997年には37勝で関西の最多勝利調教師(全国3位)となった。2001年春には、いずれもサンデーサイレンス産駒の管理馬ステイゴールドトゥザヴィクトリーを擁して世界最高賞金開催のドバイワールドカップミーティングに臨み、前者がドバイシーマクラシックに優勝、後者が世界最高賞金競走・ドバイワールドカップで2着という成績を残した。また、トゥザヴィクトリーは同年11月にエリザベス女王杯に優勝して池江に8年ぶりのGI勝利をもたらし、ステイゴールドは香港ヴァーズ優勝で初の国際GI勝利を挙げた。期待馬で結果を残したことで、以後池江厩舎にはGI級の良駒が続々と預託されていった[8]

ディープインパクト

その後もノーリーズンゴールドアリュールといったGI優勝馬を管理、2005年にはディープインパクトが史上6頭目のクラシック三冠を達成した。ディープインパクトは翌2006年に天皇賞(春)、宝塚記念を連勝、秋にはフランスの最高格競走・凱旋門賞に有力馬として出走したが、3位入線後に禁止薬物イプラトロピウムが検出されて失格となり、池江は主催者のフランスギャロより1万5000ユーロの罰金を科された[9]ディープインパクト禁止薬物検出事件)。帰国後にはジャパンカップ有馬記念を制し、当時最多タイ記録となるGI競走7勝を達成。引退後は池江の管理馬としてマックイーン以来2頭目の顕彰馬に選出された。ディープインパクトとメジロマックイーンはいずれも10億円以上の賞金を獲得しており、複数の10億円ホースを管理した調教師は2009年まで池江のみであった。

2008年には自己最高の年間46勝を記録したが、2003年から調教師として開業していた息子・泰寿が51勝を挙げ、初の全国リーディングには及ばなかった。そして、2011年2月27日をもって70歳定年により調教師を引退。管理馬最後の重賞出走となった当日中山記念のリルダヴァルは敗れたものの、同日小倉のメイン競走・虹の松原ステークスに出走したヤマニンウィスカーが最後の勝利を挙げた。

定年後

定年引退後は『スポーツニッポン』紙上で競馬評論家として活動しているほか、テレビ出演による競馬解説も行っている。

引退から約8カ月後の2011年10月23日、泰寿が管理するオルフェーヴルが、ディープインパクト以来6年ぶり・史上7頭目のクラシック三冠を達成。これに伴って泰郎・泰寿は史上初となる親子での三冠馬トレーナーとなった。同馬の父と母の父は、それぞれ泰郎が管理したステイゴールドとメジロマックイーンであった。この業績に際し、泰寿は「父があっての池江泰寿厩舎であり、私であり、3冠です」と語った[10]。また、同年12月にはスポーツ功労者文部科学大臣顕彰を受けた[11]

2013年7月31日付の『スポーツニッポン』の報道によると、JRAの馬主登録に認可されたことが明らかとなった[12]。勝負服は紫、白一本輪、白袖紫一本輪で、調教師時代の調教服をイメージしたとのこと。

2016年現在は「サトノ」の冠名で知られる里見治セガサミーホールディングス会長)のアドバイザーを務めている[13]

騎手成績

区分1着2着3着4着以下出走数勝率連対率
1959年平地1451434.029.147
1960年平地65145378.077.141
障害140611.091.455
79145989.078.180
1961年平地17151390135.126.237
障害253414.143.500
19201694149.128.262
1962年平地201916106161.124.242
障害444416.250.500
242320110165.145.285
1963年平地22811103144.153.208
障害00044.000.000
22811107148.149.203
1964年平地352025161241.145.228
障害0131014.000.071
352128171255.137.220
1965年平地272426195272.099.188
1966年平地261629130201.129.209
障害115310.100.200
271734133211.128.208
1967年平地122221138193.062.176
1968年平地262222162232.112.207
1969年平地192013174226.084.173
1970年平地323322149236.136.275
1971年平地16201586137.117.263
1972年平地11946892.120.217
1973年平地19161796148.128.236
1974年平地212514104164.128.280
1975年平地201914116169.118.231
1976年平地151921101156.096.208
1977年平地142212124172.081.209
1978年平地1131419.053.105
平地3603393172,1903,206.112.218
障害815153169.116.333
総計3683543322,2213,275.112.220
日付競走名馬名頭数人気着順
初騎乗1959年4月5日-スモールフオート--14着
初勝利1959年11月7日-ヤマヒサ--1着
重賞初騎乗1960年10月23日アラブ大障害(秋)コロナペツト4頭32着
重賞初勝利1962年11月23日京都大障害(秋)ヤマジヨシイ5頭11着
GI級初騎乗1963年3月31日桜花賞ミスヤマニンベン25頭1323着

主な騎乗馬

※括弧内は池江騎乗時の優勝重賞競走。

その他

調教師成績

区分1着2着3着4着以下出走数勝率連対率
1979年平地0312529.000.103
1980年平地9201079118.076.246
障害01135.000.200
9211182123.073.244
1981年平地4122486126.032.127
障害00022.000.000
4122488128.031.125
1982年平地9171089125.072.208
障害00167.000.000
9171195132.068.197
1983年平地1191093123.089.163
1984年平地171610109152.112.217
障害00145.000.000
171611113157.108.210
1985年平地171517106155.110.206
1986年平地181624103161.112.211
1987年平地181926114177.102.209
障害00022.000.000
181926116179.101.207
1988年平地182314143198.091.207
障害00022.000.000
182314145200.090.205
1989年平地252119158223.112.206
1990年平地272413137201.134.254
障害00022.000.000
272413139203.133.251
1991年平地192017120176.108.222
障害21227.286.429
212119122183.115.230
1992年平地171216135180.094.161
1993年平地201823100161.124.236
障害01113.000.333
201924101164.122.238
1994年平地361720145218.165.243
障害00022.000.000
361720147220.164.241
1995年平地252729143224.112.232
障害00022.000.000
252729145226.111.230
1996年平地352829154246.142.256
障害232411.182.455
373131158257.144.265
1997年平地292617134206.141.267
1998年平地322026153231.139.225
障害10102.500.500
332027154233.142.227
1999年平地312930133223.139.269
障害00011.000.000
312930134224.138.268
2000年平地302615157228.132.246
障害201811.182.182
322616165239.134.243
2001年平地302619147222.135.252
障害0521118.000.278
303121158240.125.254
2002年平地372732156252.147.254
障害10146.167.167
382733160258.147.252
2003年平地281625147216.130.204
障害343919.158.368
312028156235.132.217
2004年平地383024146238.160.286
障害6011320.300.300
443025159258.171.287
2005年平地342331180268.127.213
障害02079.000.222
342531187277.123.213
2006年平地403036184290.138.241
2007年平地353234177278.126.241
2008年平地462227187282.163.241
2009年平地443139217331.133.227
2010年平地411738222318.129.182
2011年平地8743655.145.273
平地82867970944156631.125.227
障害17171785136.124.248
総計84569672645016768.125.228
日付競走名馬名頭数人気着順
初出走1979年10月7日-ブュークイン--16着
初勝利1980年2月9日-メジロカペラ--1着
重賞初出走1980年10月18日デイリー杯3歳Sイワキダンサー9頭23着
重賞初勝利1985年1月6日金杯(西)メジロトーマス10頭21着
GI初出走1985年6月2日宝塚記念メジロトーマス10頭69着
GI初勝利1986年11月9日菊花賞メジロデュレン21頭61着

受賞

主な管理馬

※括弧内は管理下における当該馬の優勝重賞競走。太字はGI級競走を示す。

GI級競走優勝馬

その他重賞競走優勝馬

主な厩舎所属者

※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。

優秀厩舎スタッフ賞を2001年度4位、2002年度4位、2004年度3位で表彰されている。

主な騎乗依頼騎手

脚注

参考文献

関連項目

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