条坊制
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思想
各国の例
中国では、風水説(四神相応)と並び首都建設の基本であったが、宋の時代に入ると条坊制に基づいた都はあまり作られなくなった。
朝鮮半島では、7世紀後半頃新羅王京において採用されたといわれる。
日本における条坊制の都市には、都であった藤原京[1]・平城京[1]・長岡京・平安京[1]、および、広い地方を統括した大宰府・多賀城[2]等がある。ただし、異民族の侵攻の恐れのある大陸においては、郭城(塀=羅城をめぐらした城)であるが、島国である日本では城壁は作られず(大宰府には城壁があったとも考えられている)、平城京・平安京では都の入口を示す朱雀大路の門が羅城門(羅生門)と呼ばれるにとどまった。
条坊制の名残として、都市を碁盤目状の道路で区画して建設するという文化は、明治時代以降に開発された北海道などにも伝統として受け継がれ、現在では京都市をはじめ、札幌市や旭川市など北海道の大部分の都市で、○条○町(○丁目)のように住所名に活かされている[1]。



