東京炭鉱

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所在地青梅市
都道府県東京都の旗 東京都
日本の旗 日本
座標北緯35度49分23.1秒 東経139度17分8.8秒 / 北緯35.823083度 東経139.285778度 / 35.823083; 139.285778座標: 北緯35度49分23.1秒 東経139度17分8.8秒 / 北緯35.823083度 東経139.285778度 / 35.823083; 139.285778
東京炭鉱
所在地
東京炭鉱の位置(東京都内)
東京炭鉱
東京炭鉱
所在地青梅市
都道府県東京都の旗 東京都
日本の旗 日本
座標北緯35度49分23.1秒 東経139度17分8.8秒 / 北緯35.823083度 東経139.285778度 / 35.823083; 139.285778座標: 北緯35度49分23.1秒 東経139度17分8.8秒 / 北緯35.823083度 東経139.285778度 / 35.823083; 139.285778
生産
産出物石炭亜炭泥炭
歴史
開山1935年
閉山1960年
プロジェクト:地球科学Portal:地球科学

東京炭鉱(とうきょうたんこう)とは、かつて東京都青梅市に存在した東京都唯一[注釈 1]炭鉱である。

1935年(昭和10年)頃から採掘を開始した。当時は物資の不足で燃料価格が高騰する中、黒沢川沿いに炭層が存在することが判明し、採掘が始まった。当初は露天掘りであり、戦前の最盛期であった1940年(昭和15年)頃には50人ほどの人夫がおり[3]、昭和飛行機にも販売していた[4][注釈 2]。戦争の激化で人手不足となり、休鉱となった[3]

戦後すぐに復活し、1949年(昭和24年)までは暖房燃料向けに木質亜炭を生産していた。戦後は固形肥料向けに泥炭が売れるようになり、トラックで日本肥料の工場に運ばれた[7]。1955年(昭和30年)からは大和礦業の経営となり[4]、当時の月産は350トンから400トン、最盛期の1958年(昭和33年)には500トンを産出していたという[注釈 3]。しかし20mの竪坑を降りて採炭に向かうという条件の悪さから、1960年(昭和35年)に廃鉱となった[16][注釈 4]

竪坑の跡はしばらく残っていたが、後に地元住民によって埋められた[17]。県外から来ていた鉱夫の一部は小曾木に定住した[2]

周辺

交通

バス停の混乱(2017年7月)
都バスのバス停はWebでは「東京炭坑」であるが、現地のバス停は西方向が「東京炭鉱」(左)、東方向が「東京炭坑前」(右)となっており、Webの案内とは異なっている。
西武バスはほぼ「東京炭鉱前」で統一されているが、青梅方面バス停(左)の側面のみ「東京炭鉱」となっている。

青梅線と西武池袋線飯能駅から青梅市小曾木方面へ向かう都バス・西武バスが炭鉱跡を通過する。都バスのバス停は「東京炭坑」[19]、西武バスのバス停は「東京炭鉱前」と[20]、名称が異なっている。ただし現地では都バスのバス停が「東京炭鉱前」「東京炭坑前」と標示されるなど、用字に混乱が見られる[13][21][注釈 5]

河辺駅より都営バス [梅74]成木循環・小曾木方面行き 東京炭坑前で下車
東青梅駅より西武バス [飯41]飯能駅行き 東京炭鉱前で下車
青梅駅より都営バス [梅74]成木循環・小曾木方面行き 東京炭坑前で下車
飯能駅より西武バス [飯41]東青梅駅行き 東京炭鉱前で下車

注釈

出典

参考文献

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