仁王門通 (名古屋市)
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歴史
戦前


1898年(明治31年)まで、仁王門通の東端付近に大須総門が建っており、その傍らには石灯籠があった[4]。大須総門より西側が境内の参道とされていた[4]。1903年(明治36年)頃、仁王門通の南側に名古屋市初の水族館が開館した[5]。
明治末期には名古屋市初となる舗装道路(アスファルト[6])が計画されると、沿道の住民などからの寄付も集めた上で、1912年(明治45年)6月15日に路面舗装が完成した[7]。大正時代の名古屋市では人力車や馬車も用いられていたが、本町通から仁王門通に入る場所には乗合馬車の乗り場があった[8]。
戦後
戦後の1947年(昭和22年)以降には大須観音の仮本堂の再建などが計画され、1948年(昭和23年)10月、仁王門通の東端部に大提灯が復活した[10]。高さ約7.5メートルの鉄製アーチの上に直径2メートルの大提灯を吊り下げたものである[10]。1950年(昭和25年)7月、仁王門通でお化けの仮装行列が行われて話題となった[11]。1952年(昭和27年)12月頃には仁王門通に大アーチが完成した[12]。

1957年(昭和32年)から1963年(昭和38年)にかけて、万松寺通、仁王門通、東仁王門通などに相次いで全蓋式アーケードが設置された[13]。大須通と仁王門通でも同時期に建設を行い、1963年(昭和38年)7月23日には揃って全蓋式アーケードの完工式が行われた[14]。仁王門通の全蓋式アーケードは全長162メートル、幅9メートル、高さ8メートルであり、総工費は3000万円[14][2]。
1987年度(昭和62年度)には総工費2億3000万円を投じて、全蓋式アーケードの建て替えと歩道のカラー舗装化の工事を開始し、1989年(平成元年)1月にリニューアルが完成した[2]。2011年(平成23年)にリリースされたSKE48の楽曲「バンザイVenus」のミュージックビデオは仁王門通で撮影された[15]。
2014年(平成26年)2月には全蓋式アーケードが改修され、アーケードのシンボルとして直径3メートルの巨大な金玉が吊り下げられた[3][15]。同年4月13日から4月29日にかけて、完成記念セールとしておもてなし春祭りが開催された[3]。数年後にはメンテナンスの煩雑さから金玉が撤去されたが、新型コロナウイルス感染症が世界的に流行した2020年(令和2年)には、にぎわいの創出を理由に金玉が再度設置された[16]。
大須観音仁王門/仁王像

1892年(明治25年)3月22日に起こった大須大火では、大須観音の本堂や五重塔に加えて、仁王門やその内部の仁王像も焼失した[17]。仁王像はその後再建されたが、1945年(昭和20年)3月19日の名古屋大空襲で再び焼失した[17]。
1948年(昭和23年)11月28日には仁王門通商店街組合が寄贈した仁王門の上棟式が行われ、1949年(昭和24年)3月1日に完成した[18][10]。間口は30尺(約9.1メートル)、奥行は11尺(約3.3メートル)、高さは30尺(約9.1メートル)。同年5月には西春日井郡楠村(現・名古屋市北区)の護国院から仁王像を借り受けた[19][20]。
大須発展会はこの仁王像を練り歩かせるなどしてセールに利用したため、護国院が激怒して返却を求めたが、大須観音の仲裁によって収まったという出来事もあった[17]。1951年(昭和26年)には仏具店主の寄進によって自前の仁王像が完成し[20]、5月19日に仁王門に仮入仏すると、11月18日に入仏供養が行われた[21][22]。長野市の善光寺の仁王像をモデルとし、岩田冬根や栗田三郎ら10人の仏師が彫り上げている[22]。
1970年(昭和45年)には大須観音の本堂が再建された。1984年(昭和59年)には仁王門も改築された[11]。
- 1949年竣工の門
- 仁王像の吽形
- 仁王像の阿形
施設

現存する施設
- 青柳総本家大須本店 - 1879年(明治12年)、7代目後藤利兵衛が尾張藩17代藩主の徳川慶勝から青柳の屋号を授かって創業した[23]。当初は仁王門通の南側に店を構えていたが、1892年(明治25年)3月21日の大須大火後には仁王門通の北側に移り、青柳総本家を屋号とした[23]。1937年(昭和12年)秋には木造3階建の重厚な店を建てた[23]。
- 大須ういろ本店 - 1947年(昭和22年)創業。世界館の跡地。
- 大須教会 - プロテスタントのキリスト教会。1953年(昭和28年)に設立され、1979年(昭和54年)に新たな教会堂が竣工した[24]。2019年(令和元年)9月には岐阜県産ヒノキを用いた新たな教会堂が竣工した[24]。全蓋式アーケード商店街の内部にある教会は全国的に見ても珍しいとされる[24]。正式名称は名古屋福音伝道教会。
- 中警察署大須交番
- 大須観音
- 富士浅間神社 - 大須観音通との間に位置し、両通りを浅間小路がつないでいる。
- 青柳総本家大須本店
- 大須ういろ本店
- 大須観音
- 富士浅間神社
- 大須教会
- 大須交番
現存しない施設
- 世界館 - 映画館。1910年(明治43年)7月1日に桔梗座が世界館に改称して活動常設館となり、1913年(大正2年)10月30日に建て替えられた[25]。
- 文明館 - 映画館。1908年(明治41年)1月25日、名古屋初の活動写真館、日本で3番目の活動写真館として開館した[26]。戦後には大須東映として営業していたが、1961年(昭和36年)12月11日に火災で焼失した[27]。
- 電気館 - 映画館。1908年(明治41年)4月1日、文明館に次いで名古屋市2番目の活動常設館として開館した[25]。1945年(昭和20年)に空襲で焼失した。
- 大和座 - レヴューや軽演劇。ヤマトダンスとも呼ばれた。
- 七宝館 - 寄席。仁王門通から七寺に向かう弁天通にあった。
- 尾川屋 - 牛鍋料理店。大須観音に近い仁王門の南側にあった[28]。大正時代には名古屋でも著名な牛鍋屋に数えられ、鶴舞公園附属動物園や歩兵第6連隊などに牛鍋を納めていたが、1931年(昭和6年)頃に大須を離れた[28]。主人は竪三蔵筋に料亭の東海楼も経営していた[28]。
