東嶽
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生涯
母のまつ(大匠院)は北畠具教の側室であったが、離縁して後に尾張国の蜂須賀正勝の正室となり、1558年(永禄元年)に蜂須賀家政(後の徳島藩祖)を生んだ。
そのため長存は正勝の養子となり、後に出家し、京都の南禅寺で修行し臨済宗の僧侶となった。
異父弟の家政が阿波国を与えられると随行して国入りし、1586年(天正14年)に江岸山福聚寺を開山した。その後、同寺は下助任町に移り、興源寺と改められた。
東嶽は興源寺の初代住職を務めたのち、1619年(元和5年)に八万村(現在の徳島市八万町)に雲水庵(現在は廃庵)を開山し、隠居した。同庵には徳島藩家老である池田家(家政の外孫蜂須賀玄寅系)の歴代当主の墓碑がある。没後、雲水庵に墓碑が建てられた。