東嶽 From Wikipedia, the free encyclopedia 没地 阿波国宗派 臨済宗寺院 興源寺師 南禅寺東嶽 1554年 - 没年不詳没地 阿波国宗派 臨済宗寺院 興源寺師 南禅寺テンプレートを表示 東嶽(とうがく、1554年〈天文13年〉 - ?)は、安土桃山時代から江戸時代前期の臨済宗の僧侶。俗名は蜂須賀 長存。東岳や栄俊とも記される。 伊勢国司の北畠具教の落胤。母は大匠院(まつ)。養父は蜂須賀正勝。異父弟は徳島藩祖である蜂須賀家政。 母のまつ(大匠院)は北畠具教の側室であったが、離縁して後に尾張国の蜂須賀正勝の正室となり、1558年(永禄元年)に蜂須賀家政(後の徳島藩祖)を生んだ。 そのため長存は正勝の養子となり、後に出家し、京都の南禅寺で修行し臨済宗の僧侶となった。 異父弟の家政が阿波国を与えられると随行して国入りし、1586年(天正14年)に江岸山福聚寺を開山した。その後、同寺は下助任町に移り、興源寺と改められた。 東嶽は興源寺の初代住職を務めたのち、1619年(元和5年)に八万村(現在の徳島市八万町)に雲水庵(現在は廃庵)を開山し、隠居した。同庵には徳島藩家老である池田家(家政の外孫蜂須賀玄寅系)の歴代当主の墓碑がある。没後、雲水庵に墓碑が建てられた。 参考文献 この節には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注によって参照されておらず、情報源が不明瞭です。 脚注を導入して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2020年1月) 内藤雋輔『文禄・慶長役における被擄人の研究』(1976年、東京大学出版会) 三好昭一郎『図説徳島県の歴史』(1994年、河出書房新社) この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。表示編集 Related Articles