東海道吉田
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『三十六景』全図の内、「常州牛堀」「尾州不二見原」に次いで、富士から3番目に遠い位置(約140km)より描いている[注釈 4]。
宿の正面に「不二見茶屋」とあるが、1844-51年(弘化元-嘉永4年)刊行の夏目可敬編『参河国名所図会』(みかわのくにめいしょずえ)によると[注釈 5]、現在の愛知県豊橋市下五井町に存在していたことがわかる[8]。
北斎は名古屋へ2度赴いており[注釈 6]、京畿八道へも2度訪れた可能性があるため[注釈 7]、茶屋に寄ったかもしれない。但し、実際に富士が見られたとしても、もっと小さな姿だろう[7]。
構造物(ここでは、窓)の間から富士を覗かせる手法は、『三十六景』の「深川万年橋下」「尾州不二見原」「上總ノ海路」「登戸浦」(のぼとうら)でも見られる技法であるが、このような構図は、河村岷雪の『百富士』の影響を受けたと指摘される[11]。
向かって右に腰掛ける2人の男の笠には、版元の「永」の字と版元印(山型に巴)がこっそり描きこまれている。向かって左の男2人は駕籠かきで、畳に座る女を乗せて来たばかりなのか、月代を拭い、草鞋を木槌で叩いて柔らかくしている。
看板には「御茶づけ」「根元吉田ほくち」とある。「ほくち」は吉田宿の特産品であった[注釈 8]。
男女の着物・荷物・暖簾・看板・空(ぼかしを入れる)・富士には「ベロ藍」が、主版(おもはん)[注釈 9]には在来の藍が用いられている。