東郷茂彦
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父・文彦が外交官だった為、学習院初等科在学中にオランダに1年間、スイスに2年間在住。語学堪能なのはこの頃身に付けたもの。帰国後、学習院中等科、東京都立日比谷高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部卒業。なお、近衞甯子(甯子内親王)、久邇朝宏(久邇宮)、東郷和彦(元オランダ大使)は、学習院初等科時代の同級生。
1969年に朝日新聞社に入社した。朝日新聞名古屋支局で愛知県警詰めキャップを経験し、東京本社に戻って政治部に配属され三木武夫首相(当時)の番記者を務めた。1976年5月にワシントン・ポスト紙の記者に転じた。
海外誌であるワシントンポストで書いた記事が日本に逆輸入されることで、その後の報道や選挙結果が大きく変動した。1988年に絵本『ちびくろサンボ』の絶版のきっかけとなる日本での黒人の取り扱いの記事を書いた。更に1989年の組閣後に鳥越俊太郎が書いた宇野宗佑首相に関する女性問題は当初は国内では問題視されなかったが、東郷のワシントンポストでの記事がマスコミに紹介されたことで報道は批判一色となり、自由民主党は参議院選挙で敗北した。鳥越と共に日本政界の乱れた異性関係が問題視される風潮の発端をつくった。 また当時報道協定による所謂菊のカーテンにより身動きが取れなかった日本メディアを向こうにして皇太子妃雅子と徳仁の婚約をスクープした事でも知られている。 一方で度重なる不祥事を起こしたとされ前述の朝日新聞退職もそれに関連しているといわれている。[1]。 2018年3月16日、國學院大學より「『天皇の永続性』の研究 : 近代における制度と人物を通じて」で、博士(神道学)を受ける。