東野鉄道
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| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 本社所在地 |
栃木県宇都宮市一条町1163 |
| 設立 | 1916年(大正5年)2月8日 |
| 業種 | 鉄軌道業 |
| 事業内容 | 旅客鉄道事業、バス事業、索道 |
| 代表者 | 社長 矢野政男 |
| 資本金 | 100,000,000円 |
| 発行済株式総数 | 2,000,000株 |
| 特記事項:1965年度現在(『私鉄要覧 昭和40年度版』 41頁) | |
| 東野鉄道線 | |
|---|---|
| 概要 | |
| 現況 | 廃止 |
| 起終点 |
起点:西那須野駅 終点:那須小川駅 |
| 駅数 | 13駅 |
| 運営 | |
| 開業 | 1918年4月17日 |
| 廃止 | 1968年12月16日 |
| 所有者 | 東野鉄道 |
| 使用車両 | 車両の節を参照 |
| 路線諸元 | |
| 路線総延長 | 24.4 km (15.2 mi) |
| 軌間 | 1,067 mm (3 ft 6 in) |
| 電化 | 全線非電化 |
東野鉄道(とうやてつどう)は、かつて栃木県那須郡西那須野町(現・那須塩原市)の西那須野駅から同郡黒羽町(現・大田原市)の黒羽駅を経て同郡小川町(現・那珂川町)の那須小川駅までを結んでいた鉄道路線およびその運営会社である。
ここでは主に東野鉄道株式会社が運営していた路線(東野鉄道線)及び会社の鉄道事業について述べる。バス交通事業については後身の東野交通も参照されたい。
黒羽 - 那須小川間は1939年に、西那須野 - 黒羽間は1968年に廃止された。会社は鉄道事業廃止後、社名を東野交通と改め、バス専業の事業者として、2018年に関東自動車と合併するまで存続した[1]。
歴史
1918年(大正7年)に西那須野 - 黒羽間で開業した東野鉄道は沿線の農作物の輸送や、太平洋戦争前は金丸原(現・大田原市)の陸軍飛行場の軍事物資輸送を担っていた。1924年(大正13年)には八溝山地の木材輸送を目的として黒羽から那珂川に沿って南下し那須小川まで延伸されたが、昭和恐慌により那須小川から東進し茨城県大子まで延伸する計画は放棄された。これにより黒羽 - 那須小川間は存在意義を失い、さらに1938年(昭和13年)8月の台風は箒川鉄橋に被害を与え、復旧費は経営に多大な負担をかけたため、開業からわずか15年後の1939年(昭和14年)に廃止された[2]。残る西那須野 - 黒羽間も、旅客・貨物輸送量の低下や災害復旧にかかる経費の問題から、1968年(昭和43年)に廃止された。
なお、西那須野 - 大田原間には1908年(明治41年)から那須人車軌道が人が車両を押す人車軌道を運行しており1913年(大正2年)5月に東野鉄道と間で併合契約を締結していた。しかし金銭面で折り合いがつかず解約になってしまう[3]。その後は蒸気鉄道の東野鉄道の開業による影響で1921年(大正10年)頃から運行を取りやめ1934年(昭和9年)に正式に廃止となった。
年表
- 1913年(大正2年)
- 1915年(大正4年)11月5日:起業目論見変更認可(那須郡西那須野村-同郡川西町間)[6]。
- 1916年(大正5年)2月8日:東野鉄道株式会社設立(社長植竹熊次郎[4])[7]。
- 1918年(大正7年)4月17日:西那須野 - 黒羽間が開業[8]。西那須野、大田原、金丸原、黒羽の各駅を設置[9]。
- 1919年(大正8年)11月19日:鉄道免許状下付(那須郡川西町-久慈郡大子町間)[10]。
- 1924年(大正13年)12月6日:黒羽 - 那須小川間が開業[11]。湯津上、佐良土、那須小川の各駅を設置[9]。
- 1928年(昭和3年)
- 1933年(昭和8年)
- 1935年(昭和10年)8月21日:乃木神社前停留所設置[4]。
- 1936年(昭和11年)5月14日:白旗前停留場設置(9月29日白旗城址前に改称)[4]。
- 1938年(昭和13年)9月1日:大出水により一部区間不通(1939年〈昭和14年〉3月4日再開)[4]。
- 時期不詳:狭原駅開業。
- 1939年(昭和14年)
- 1940年(昭和15年)9月12日:乃木神社前、成田山前、中田原、白旗城址前各停留場廃止認可[4]。成田山前は大田原中学校通学のため存続[15]。
- 1951年(昭和26年)以降:成田山前駅を大高前駅へ改称[9]。
- 1953年(昭和28年):野球部が天皇賜杯全日本軟式野球大会にて優勝[16]。
- 1962年(昭和37年)10月19日:那須ロープウェイ開業[17]。詳細は当該項目を参照。
- 1964年(昭和39年):東武鉄道副社長の小林正郎が会長に就任。東武鉄道の関連会社となる[18]。
- 1966年(昭和41年)9月25日:台風により蛇尾川鉄橋が損傷し不通(1967年〈昭和42年〉1月5日復旧)[4]。
- 1968年(昭和43年)12月16日:西那須野 - 黒羽間廃止[9]。
- 1969年(昭和44年)6月:バス事業への転換に伴い、社名を東野交通に変更。以降は東野交通#沿革を参照。
駅一覧
| 駅名 | 駅間 キロ |
累計 キロ |
接続路線 |
|---|---|---|---|
| 西那須野駅 | 0.0 | 日本国有鉄道:東北本線[注釈 1] 那須軌道:那須軌道線[注釈 2] 塩原電車:塩原電車線[注釈 3] | |
| 乃木神社前駅 | 1.6 | 1.6 | |
| 大高前駅[注釈 4] | 2.1 | 3.7 | |
| 大田原駅 | 0.9 | 4.6 | 那須軌道:那須軌道線[注釈 5] |
| 中田原駅 | 1.7 | 6.3 | |
| 金丸原駅 | 3.5 | 9.8 | |
| 白旗城址前駅 | 1.9 | 11.7 | |
| 黒羽駅 | 1.4 | 13.1 | |
- 1940年(昭和15年)に乃木神社前、成田山前、中田原、白旗城址前各停留場の廃止認可が下りている。
1924年12月6日開業 - 1939年6月1日廃止区間
| 駅名 | 駅間 キロ |
累計 キロ |
接続路線 |
|---|---|---|---|
| 黒羽駅 | 1.4 | 13.1 | |
| 狭原駅 | [注釈 6] | [注釈 6] | |
| 湯津上駅 | [注釈 6] | 16.2 | |
| 笠石前駅 | [注釈 6] | [注釈 6] | |
| 佐良土駅 | [注釈 6] | 21.3 | |
| 那須小川駅 | 3.1 | 24.4 | |
輸送・収支実績
| 年度 | 輸送人員(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 営業益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) | 政府補助金(円) |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1918 | 115,304 | 15,391 | 26,366 | 24,153 | 2,213 | 建物売却及雑損金173 | 14,079 | ||
| 1919 | 211,825 | 50,213 | 68,337 | 55,880 | 12,457 | 3,134 | 12,786 | 19,931 | |
| 1920 | 229,392 | 55,527 | 88,681 | 68,835 | 19,846 | 4,557 | 702 | ||
| 1921 | 226,528 | 50,590 | 101,793 | 63,649 | 38,144 | ||||
| 1922 | 225,477 | 48,653 | 107,816 | 74,641 | 33,175 | ||||
| 1923 | 231,085 | 47,074 | 104,639 | 60,220 | 44,419 | 32 | 4,335 | ||
| 1924 | 249,655 | 57,339 | 117,581 | 70,541 | 47,040 | 2,377 | 516 | ||
| 1925 | 310,400 | 57,423 | 150,265 | 108,788 | 41,477 | 29,279 | 7,185 | ||
| 1926 | 302,961 | 67,508 | 124,656 | 94,082 | 30,574 | 27,319 | 50,502 | ||
| 1927 | 289,183 | 68,405 | 156,612 | 110,518 | 46,094 | 16,903 | 47,020 | ||
| 1928 | 310,172 | 67,439 | 156,042 | 113,080 | 42,962 | 自動車業3,832雑損509 | 5,781 | 34,368 | |
| 1929 | 292,380 | 62,211 | 139,207 | 100,481 | 38,726 | 雑損2,593自動車業4,580 | 3,865 | 31,583 | |
| 1930 | 364,524 | 55,937 | 117,505 | 101,747 | 15,758 | 自動車業3,553 | 5,149 | 31,583 | |
| 1931 | 319,006 | 53,617 | 103,085 | 85,321 | 17,764 | 自動車業2,354雑損588 | 4,888 | 26,301 | |
| 1932 | 305,553 | 48,152 | 93,183 | 84,505 | 8,678 | 自動車1,959 | 2,926 | 29,099 | |
| 1933 | 287,509 | 49,497 | 93,127 | 89,410 | 3,717 | 自動車2,023雑損52 | 878 | 31,658 | |
| 1934 | 272,536 | 54,889 | 100,542 | 91,205 | 9,337 | 自動車業12,698 | 208 | 31,658 | |
| 1935 | 259,863 | 46,656 | 93,240 | 76,020 | 17,220 | 自動車業4,603雑損2,847 | 370 | 434 | |
| 1936 | 267,014 | 52,956 | 100,394 | 60,142 | 40,252 | 自動車業18,647雑損2,849 | 377 | 94,672 | |
| 1937 | 318,046 | 58,014 | 115,062 | 78,108 | 36,954 | 自動車業5,367 | 雑損償却金69,054 自動車業10,473 | 1,067 | 24,343 |
| 1939 | 378,643 | 69,555 | |||||||
| 1941 | 643,121 | 89,877 | |||||||
| 1945 | 1,798,465 | 102,979 | |||||||
| 1952 | 1,153,744 | 55,177 | |||||||
| 1958 | 1,400千 | 50,310 | |||||||
| 1963 | 1,351千 | 58,890 | |||||||
| 1966 | 727千 | 33,981 | |||||||
- 鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計、地方鉄道統計年報、私鉄統計年報各年度版
車両
蒸気機関車
- A形 (1, 2)
- 1896年、米ボールドウィン製の車軸配置2-4-2(1B1)形27t級タンク機関車。元鉄道院200形 (200, 201)。200は、DC202の入線後は予備機として在籍し、1964年廃車。201は、1961年廃車。
- 3形 (3)
- 1923年、独コッペル製の車軸配置0-6-0(C)形26t級タンク機関車。1937年9月、室蘭埠頭へ譲渡。
- C251
- 1896年、米ピッツバーグ製の車軸配置0-6-0(C)形25t級タンク機関車で、元鉄道省1690形(1690)。1947年10月、南部鉄道C251を譲り受けたもの。1956年、富士重工業に譲渡。
- 1356
- 1924年、汽車製造製の車軸配置0-6-0(C)形31t級タンク機関車。1948年、国有鉄道から譲受。1956年に三井埠頭へ譲渡[19]。
ディーゼル機関車
- DC20形DC201
- 1952年、新潟鉄工所製の元津軽鉄道DC20形DC201号。1964年12月譲受。背の低い箱形車体とロッド伝導が特徴。廃線後トレーラーで搬出され[20]西武所沢車両工場に持ち込まれL形スイッチャーに改造された[21][22]。
- DC20形DC202
- 元津軽鉄道DC20形DC202号。1961年5月譲受。同上。譲渡時期の違いから津軽鉄道時代の薄灰色で使用され続けたDC201と異なり、末期には茶色で塗装されていた[23]。
気動車
- キハ1形(1-3)
- 1928年、丸山車両製の木造単端式ガソリン動車を1933年に日本車両で鋼体化。1938年に1と2は売却された。そのうち1は日立航空機立川工場への専用線車両として買い取られるも、使用される事なく1952年頃まで小川駅構内に放置された後行方不明となった。2については宮崎交通に移りハ1となり、残った3は1948年に廃車となった。廃車体は1960年頃まで黒羽機関庫に残されていたのが確認されている[24][25]。
- キハ10形(10,11)
- 1929年、日本車両製の半鋼製二軸ガソリン動車。1964年にエンジンを撤去し客車化(ハ32,ハ33)され路線廃止まで使用[26]。
- キハ20形20
- 1936年、日本車両製の半鋼製二軸ガソリン動車。一段窓であったキハ10形に対して二段窓の軽快な外見となった。キハ500形入線後は閑散時間帯の列車やキハ500形の増結車として使用され、1964年に客車化(ハ31)されたが、路線廃止前に除籍となっている[27]。
- キハ30形30
- 1938年に常総鉄道キハ13を譲受。1948年に客車化されハ30となり路線廃止まで使用[28]。
- キハ500形501
- 元五日市鉄道キハ501。1944年に国鉄から譲受。記号番号は五日市鉄道のものを踏襲[29]。1950年にガソリンエンジンをディーゼルエンジンへ換装した[30]。
- キハ500形502
- 元日本国有鉄道キハ41000形(キハ41008)。1949年に国鉄から譲受。当初は客車代用として使用したが、1950年にディーゼルエンジンを取り付け。路線廃止後は茨城交通に譲渡され湊線ハフ46となる[30]。
- キハ500形503
- 元日本国有鉄道キハ04形(キハ043)。1958年に国鉄から譲受。プレスドアでエンジンはDMF13であったが晩年はエンジントラブルによりトレーラー代用となった[31]。
客車
- ハ1形(1-3)、ロハ1、ハニブ1[32]
- 1918年に梅鉢鉄工所で製造された木造二軸客車で、二軸ガソリン車の客車化が進んだ1964年までに全車廃車となった。
- ハ10形(10,11)、ハニブ10[33]
- 1924年に日本車両で製造された木造二軸客車。当初は梅鉢鉄工所製の続番だったが1927年に改番された。梅鉢鉄工所製の客車と同じく1964年までに全車廃車。
- ハ30
- 元キハ30形30
- ハ31
- 元キハ20形20
- ハ32
- 元キハ10形10
- ハ33
- 元キハ10形11
貨車
廃線後の状況
線路跡地のうち、西那須野駅 - 大田原駅付近手前までの全長約4.2kmの区画は自転車歩行者専用道路として大田原市と西那須野町によって1985年に都市計画道路に決定し同年以降段階的に整備され1990年に全線開通[37]、「ぽっぽ通り」という名称がつけられている[38]。ぽっぽ通りは、路面はアスファルト舗装で一部にブロックや切石を敷き詰め、歩行者と自転車を分ける中央分離帯には樹木が植えられ、随所にホームや蒸気機関車などをモチーフとしたモニュメントや案内板が点在[37]し、往時にはここが鉄道路線であったことを伝えている。その他の区画にも、橋台の一部が残っている鉄橋の跡地や、使われなくなったトンネルといった遺構を確認することができる場所も点在する[38]。
東野鉄道の西那須野駅舎跡は、現在ステーションビルとなっている場所である[39]。乃木神社前駅跡は、廃線後ホームなどのモニュメントが造られた位置ではなく、乃木神社参道を挟んだはす向かいの参道西側(西那須野駅側)にあった[39]。