杵村久蔵

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死没 (1938-08-02) 1938年8月2日(46歳没)
中華民国の旗 中華民国 山西省
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1913年 - 1938年
杵村 久蔵
生誕 1891年12月28日
大日本帝国の旗 日本 鳥取県
死没 (1938-08-02) 1938年8月2日(46歳没)
中華民国の旗 中華民国 山西省
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1913年 - 1938年
最終階級 陸軍少将
墓所 多磨霊園
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杵村 久蔵(きねむら ひさぞう、1891年明治24年)12月28日 - 1938年昭和13年)8月2日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍少将

鳥取県米子市立町の農家に生まれた。父梅蔵は糺山のあたりで百姓をしていたという。

米子中学(現在の米子東高校)を経て、1913年(大正2年)5月、陸軍士官学校(25期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官。さらに中尉のとき、陸軍大学校(32期)に入校。同校を優等で卒業、恩賜の軍刀組であった[1]アメリカ駐在を経験している。

少壮気鋭の尉官時代、皇族李王家の御付武官をつとめた。1936年(昭和11年)8月、歩兵大佐に昇進し、朝鮮軍隷下第20師団参謀長に任命される。

1937年(昭和12年)7月、日中戦争が勃発すると中国に派遣され、翌年の1938年(昭和13年)8月、山西省チフスにかかって戦病死し陸軍少将に進級した。

人物像

杵村の浜田明の話によると杵村は同級生の松下芳三郎台湾朝鮮満洲で活躍した名行政官)と親しく交際していた模様で、同君が米中卒業後直ぐ満洲に渡って、松下のもとで働いたのは、杵村の指図によるものだったという。[2]

脚注

参考文献

外部リンク

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