松下和幹
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三菱電機和歌山製作所で旋盤工として働いていた時に技能五輪に出場。集中力を高め技能五輪に役立てるためにアーチェリーを始めた。
モスクワ・ロサンゼルス・ソウル・アトランタ・シドニー五輪で日本代表に選ばれ、射撃の蒲池猛夫、アーチェリーの山本博、柔道の谷亮子、ボートの武田大作[1]と並ぶ日本人最多タイの夏季五輪5回代表の記録を持っていた[2](後に馬術の杉谷泰造が6回で更新して飛込の寺内健も6回となった)。
- 1986年天津国際大会(優勝)で、30mの世界新記録樹立。
- 全日本ターゲット選手権10回の優勝はアーチェリー史上破られていない。
弓を保持する手が安定していることから不動の押し手と称され、日本アーチェリー界のパイオニア的存在である。 47歳で出場したシドニー五輪では、当時、日本選手団の最年長選手だった。
2003年4月、全日本アーチェリー連盟に事前の届けを行わずにアメリカの企業のホームページに肖像写真と成績を掲載する契約を結んだことが、所属選手の肖像権管理を定めた規則に違反するとして、1年間の競技者登録停止処分を受けた。
自衛隊体育学校退官後、埼玉県の花咲徳栄高校に勤務。 その後、旋盤工として勤務し定年退職。 現在アーチェリーのコーチ業務をしている。