松井康陽
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1962年(昭和37年)、茨城県笠間市に生まれた[2][4]。父は陶芸家の松井康成で、康成はのちに国の重要無形文化財「練上手」保持者に認定された[2][3]。
1985年(昭和60年)、筑波大学芸術専門学群彫刻科を卒業し、月崇寺陶房に入った[2][4]。以後、父・康成に師事し、練上を中心とする陶芸制作を行った[2]。
1991年(平成3年)、第38回日本伝統工芸展に入選した[2]。1992年(平成4年)には第32回伝統工芸新作展に入選し、1993年(平成5年)には第12回日本陶芸展に入選した[2]。1994年(平成6年)には日本工芸会正会員に認定された[2][4]。
1997年(平成9年)、第2回北関東陶芸展で毎日新聞社大賞を受賞した[2]。1998年(平成10年)には、第45回日本伝統工芸展で日本工芸会奨励賞を受賞した[1][2]。2006年(平成18年)には、茨城県芸術祭美術展覧会で波山賞を受賞した[2]。
1999年(平成11年)には、NHK主催「日本の工芸〈今〉100選」パリ展に招待出品された[2]。2000年(平成12年)には、茨城県陶芸美術館主催「茨城陶芸の現在展」に招待出品された[2]。また、2006年(平成18年)には、同館主催の「現代陶芸」展および「現代茨城の陶芸展」に招待出品された[2]。
2013年(平成25年)、茨城県陶芸美術館で開催された「没後10年 人間国宝 松井康成展」の関連催事として、美術講演会「練上の系譜‐康成から康陽へ」に講師として登壇した[3]。
作風と技法
松井康陽は、練上を中心に制作する陶芸家である[1][2]。練上は、色の異なる土を組み合わせ、成形の過程で文様を作り出す技法であり、土の配合、乾燥、成形、焼成の各段階で高い技術を必要とする。
本人の説明によれば、松井の練上作品は、色土を薄くスライスして重ね、層を作る工程から始まる。色土の板は作品の要求に応じて厚みを変え、組み合わせながら模様の層を作る。壺の場合は型の上に土を貼り付けて成形し、外側を鉋で削り出してから素焼きを行い、その後、やすりがけ、施釉、本焼きを経る[4]。
日本工芸会に掲載された作品には、「椋灰釉練上大壺」「椋灰釉練上壺」「椋灰釉練上鉢」「椋灰釉練上線文深鉢」などがあり、椋灰釉と練上を組み合わせた壺・鉢作品を継続的に発表している[1][5][6]。
茨城県陶芸美術館は、松井康陽の「椋灰釉練上大壺」を所蔵作品としてデジタルアーカイブに掲載している[7]。