松井正夫
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新潟県新潟市学校町通2番町(現 新潟市中央区学校町通2番町)の判事・松井郡治の長男として出生[1][2]。
1916年(大正5年)3月に新潟中学校を卒業、1919年(大正8年)7月に第二高等学校を卒業、1922年(大正11年)3月に東京帝国大学理学部化学科を卒業[3]。
1922年(大正11年)6月に山口高等学校教授に就任、11月から1924年(大正13年)3月まで陸軍に入隊のため山口高等学校を休職[4][5]、1931年(昭和6年)12月から1933年(昭和8年)9月まで化学の研究のためドイツやアメリカに留学[1][6]。
1943年(昭和18年)12月に文部省教学官に就任、専門教育局[注 1]に勤務、1946年(昭和21年)4月に学校教育局[8][注 1]専門教育課長に就任、9月に大学教育課長に就任[8][9]。
1947年(昭和22年)9月に第9代新潟高等学校校長に就任[10]、1949年(昭和24年)5月に新潟大学が発足すると理学部の初代学部長に就任[11][注 2][注 3][注 4]、1950年(昭和25年)4月に新潟大学一般教養部初代部長に就任[14][注 5][注 6]。
1956年(昭和31年)11月17日午前に新潟大学理学部の研究室で赤外線分光光度計を据え付けている最中に脳溢血で倒れて午前11時20分に死去[16][注 7]、58歳没。