松口VS小林
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来歴・エピソード
- 養成所時代から、お互い大のプロレス好きという事もあって意気投合しそのままコンビを結成する。心斎橋筋2丁目劇場を拠点として、コントを主体に活動。主にプロレス技をふんだんに使った激しいコントを武器に活躍した。デビュー1年目から2丁目劇場のレギュラーメンバーに抜擢され、月1のトーナメント大会で3連覇を達成し殿堂入りを果たすなど、同期の中では頭角を現す存在になっていった[1]。
- 結成2年目辺りから小林がピンでテレビやライブに呼ばれることが多くなり、次第にコンビ格差が広がっていき、それに対する松口の嫉妬もかなり強まっていったという。更に同時期に松口が尊敬する河本栄得(ベイブルース)が劇症肝炎による脳出血で急逝したことをきっかけに漫才に挑戦したいという気持ちが再燃し[2]、最終的に松口から小林へ解散を切り出した。しかし、そのことを告げられた小林は直前までコンビの解散を拒み続けたという[3]。
- 小林によると、当時の小林が作成していたネタが「下着泥棒同士が殺し合う」などといった、かなり設定が無茶苦茶なものであったため、松口から「お前とやってたら絶対売れへん」と言われ解散したと、2012年7月15日放送の「ざっくりハイタッチ」内で語っている。
- 松口は解散後に出版した自身の著書内で小林を「類まれな才能の持ち主」と語り、また小林も松口を「俺ら2人でMCやったら1番おもろい」と語っており、お互いを高く評価し合っていた。このため、解散後も不仲というわけではなく、互いに良好な関係を維持している[4]。
- コンビ名の「VS」の読みを「バーサス」ではなく「ブイエス」としたのは、コンビ名を考えた松口が当時「VS」を「バーサス」と読むことを知らなかったからという。この事実をコンビ活動中に松口は相方である小林にも伝えることはなかった[5][6]。