松平一郎
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松平容保の六男松平恆雄、鍋島直大の四女信子の長男としてイギリスのロンドンで生まれる。成蹊中学、水戸高を経て、1932年(昭和7年)に東京帝国大学文学部支那哲学科[1]を卒業。さらに同大学経済学部にも学ぶ[2]。この間の1928年(昭和3年)に勢津子(節子)が秩父宮雍仁親王に嫁いだ。1934年(昭和9年)、横浜正金銀行に入行し本店勤務となるが、近衛歩兵第1連隊で兵役に就き、陸軍少尉に任官している[3]。翌年12月の除隊直後に、徳川宗家17代当主徳川家正の長女豊子と結婚した。媒酌は近衛文麿夫妻である[4]。正銀の天津支店勤務を経て1939年(昭和14年)にサンフランシスコ支店に移る。翌々年に大東亜戦争(太平洋戦争)が勃発すると抑留を受け、各地の収容所を転々とした。交換船によって帰国後、本店勤務を経て昭南(シンガポール)支店に赴任。日本の敗戦の際は再び収容所生活を送った[3]。
正金銀行が廃止されると、その後継銀行である東京銀行に勤務し、1952年(昭和27年)にはロンドン支店開設のためイギリスに赴任。帰国後は日比谷支店長となるが、1958年(昭和33年)には取締役支店長として再びロンドンに赴き、約4年在勤している。1973年(昭和48年)に会長職を退任後は相談役として経営に携わる。カリフォルニア・ファーストバンク会長の在任は24年におよび退任は1978年(昭和53年)である[3]。
社会の一線を引いた後はロータリアンとして世界各国や日本国内を夫婦で訪れ、財団管理委員、本部理事などを務めている。日本フィンランド協会会長ほか諸団体の役員でもあった。会津会名誉会員[5]。
