松平宗紀
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1940年(昭和15年)3月、田安徳川家第10代当主徳川達成の四男として生まれる[2][1]。旧姓名は徳川 宗紀(とくがわ むねとし)[2]。1946年(昭和21年)、学習院初等科入学。
1963年(昭和38年)、越前松平家第19代当主松平康昌の未亡人である綾子(徳川宗家・徳川家達の二女)の養子[1]となり、1945年(昭和20年)に戦死した康愛(康昌の長男)の長女である智子と婚姻[3][4]、越前松平家第20代当主となる。同年、学習院大学理学部物理学科を卒業し、日本精工に入社[5]。1988年(昭和63年)、日本精工を退職した[5]。
徳川宗家当主の徳川恒孝とは学習院の同級生である。宗紀は田安徳川家から松平家へ、恒孝は会津松平家から徳川宗家へ養子に入ったため苗字が入れ違いになっており、「松平が松平に、徳川が徳川に行ったらいいじゃないか」と同級生たちにからかわれたという[6]。