井手久美子
日本の作家 (1922-2018)
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経歴
徳川慶喜の七男・徳川慶久の四女として誕生した[3]。慶喜の孫だが慶喜の死から9年後に誕生しているため、面識はない[1]。
自宅の所在地から「第六天」と称され、慶喜が晩年も過ごした3400坪の広大な屋敷で幼少期を過ごす[1]。屋敷には50人近くが住んだ[1]。女子学習院には車ではなく、市電で通学[1]。テニスや乗馬、木登りを楽しんだ[1]。
1941年に19歳で徳川家と縁も深い、福井松平家(越前松平家)第19代当主の松平康昌侯爵の長男・松平康愛と結婚する[3]。1943年に長女智子が産まれるが、康愛が南洋パラオに出征する[3]。太平洋戦争が開戦し、本土空襲が本格化すると、宮内省ゆかりの八王子に疎開する[3]。それまでは華族として生活していたが、八王子ではリヤカーを自ら引き、自給自足の生活を送った[3]。
終戦の翌年に夫の康愛の戦死が知らされ、終戦後は康愛の親友でもあった元海軍軍医中尉の井手次郎と再婚した[3]。目白の井手家で生活を始めるが、戦火で家を失った親族20人近くと共同生活を送った[3]。井手家は横浜に引っ越し、医院を開業[3]。久美子も、看護師資格は有していなかったが、夫の病院の手伝いなどもこなしていた[3]。
その後紆余曲折を経て、都内の都営住宅で過ごし、後に千葉県の団地に転居した[3]。
晩年は体調を崩しながらも、13年前に着手し、放置された原稿を一念発起で仕上げ、自叙伝『徳川おてんば姫』(東京キララ社)を2018年6月13日に出版した[1]。95歳にして、作家デビューしたということで話題となった[1]。
しかし、自叙伝の出版直後に体調を崩し入院する[4]。出版・作家デビューからわずか1か月足らずの2018年7月1日に、老衰のため千葉県内の自宅にて、95歳で死去した[3]。
人物
著書
- 『徳川おてんば姫』(2018年、東京キララ社、ISBN 978-4903883298)
- 『徳川おてんば姫 〜最後の将軍のお姫さまとのゆかいな日常〜』 (作画:西山優里子、秋田書店、2021年 - 2024年、全8巻)
系譜
- 祖父:徳川慶喜(慶喜家初代)
- 父:徳川慶久(慶喜家2代)
- 姉:宣仁親王妃喜久子
- 姉:榊原喜佐子
- 兄:徳川慶光(慶喜家3代)
- 甥:徳川慶朝(慶喜家4代)
- 前夫:松平康愛 - 戦死。久美子との間にできた一女は、松平家に渡る[5]。
- 後夫:井手次郎(1917-2002) - 医師(名古屋大学医科卒)。東邦証券社長・井手徳一の二男。戦時中は第二六一海軍航空隊付軍医中尉としてサイパン島に赴任。サイパン戦で捕虜となっている[6]。父・徳一(1887年生、佐賀県出身、早稲田大学商科卒)は松永安左エ門の懐刀の一人として知られ、松永傘下の電力会社の重役を複数務めた。目白の自邸は20部屋ある豪邸で、次郎・久美子夫妻も一時同居した。次郎の兄・太郎の岳父に岡田周造、姉ミネの舅に中村幸之助がいる。[7][8]
- 長女:松平智子 - 田安徳川家第10代当主徳川達成の四男宗紀婿養子に迎える。
- 長男:井手純 - 帝国ホテル勤務(東海大学中退)。2004年の喜久子妃死去により久美子が受け継いだ遺産数億を詐欺により失う。[9][10][5]
他一男(井手宏)あり