嫡男・定勝(1559-1645)は、父と同じく北条氏に仕え、しばしば戦功を挙げたという。北条氏改易後は徳川家に仕え、名護屋、関ヶ原、大坂に従軍し、知行一千石を賜った。正保2年(1645)8月11日、87歳で死去。子孫は幕臣として続いた(『寛政譜』)。
また、『異本小田原記』には、北条氏照家臣の大石秀信(源七郎、四郎右衛門尉)は康郷の弟、大石照基(惣四郎、信濃守)は康郷の子であったとの伝承が残る。このうち、少なくとも秀信については、「松田四郎右衛門尉」名義で氏照の奉行人を務め、のちに「大石四郎右衛門尉」を名乗っていることが確認されるため、松田一族であることは事実と考えられる[5]。
なお、大石氏略系図によると、逆に大石秀信(四郎右衛門尉。大石憲重(綱周)の養子。)は康郷の子、大石照基(源七郎松庵。松田康定の子。大石定基(宗虎)養子。)は康郷の弟で記述されている[6][7]