松田茂役

日本の将棋棋士 From Wikipedia, the free encyclopedia

松田 茂役(まつだ しげゆき、初名は茂行1921年6月28日 - 1988年8月2日)は、将棋棋士棋士番号は25。鳥取県鳥取市出身。A級在籍10期。金子金五郎九段門下。

名前 松田茂役
生年月日 (1921-06-28) 1921年6月28日
没年月日 (1988-08-02) 1988年8月2日(67歳没)
概要 松田茂役 九段, 名前 ...
 松田茂役 九段
1952年
名前 松田茂役
生年月日 (1921-06-28) 1921年6月28日
没年月日 (1988-08-02) 1988年8月2日(67歳没)
出身地 鳥取県鳥取市
棋士情報
プロ入り年月日 1940年1月1日(18歳)
引退年月日 1985年(63歳)
棋士番号 25
所属 将棋大成会
日本将棋連盟(関東)
師匠 金子金五郎九段
弟子 加瀬純一木下浩一真田圭一長沢千和子
段位 九段
棋士DB 松田茂役
戦績
一般棋戦優勝回数 5回[注 1]
通算成績 552勝582敗(0.4868)
順位戦最高クラス A級(10期)
2017年8月21日現在
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経歴

  • 幼少期より将棋が「飯より好き」[2]で、8歳の頃には鳥取で無敵とされ「鳥取のダイヤモンド」とも称された[2][3]
  • 1935年(昭和10年)、15歳の頃に金子金五郎門下で2級で奨励会入り[4]。同日入会の同期には山川次彦広津久雄がいるが、松田を含む3人とも師匠推薦での入会(無試験)であった[5]
  • 1939年初段[2]1940年四段。1941年五段[2]
  • 1940年(昭和15年)創設の総平手の公式棋戦「昭和番付編成将棋」の第1期(翌年1月まで実施)で、6戦全勝として優勝[7]
  • 若い時は「東の松田、西の大山」と並び称された[3]。五段の頃に講談倶楽部(講談社)の勝ち抜き戦「八段対新鋭平手大棋戦」で当時の最高段位・八段であった複数人(小泉八段、塚田八段、渡辺八段)に平手で3連勝[8]したことで「八段殺し」の異名をとった[3][4]。こののち応召し1941年に六段特進[8]
  • 将棋の伸び盛りの時期に戦争への応召と重なり、復員後にスランプとなる[2][3]
  • ツノ銀中飛車を武器に、戦後の棋界で活躍した[4]
  • 1947年七段[3][9]1951年八段[3]1981年九段[3]
  • 1979年、現役勤続40年表彰[3]
  • 1985年4月1日、引退[3]
  • 1988年呼吸不全のため死去[3][8]

人物

  • 日本将棋連盟理事を長く務めた[3]
  • 病気がちで将棋の負けも増え、一時は引退も考えるほどであったことから友人の姓名判断を受け、1979年(昭和54年)春、名前を「茂行」から同じ読みの「茂役」に改名した[10]
  • を愛した無頼派の「将棋指し」であった。こういうタイプの棋士が高く評価された往時、升田幸三がA級棋士に向かって「君達の将棋は松田君より大駒一枚弱い」と言ったことがあるという[11]
  • アマ強豪棋士とも多く交流を持ち、小池重明がプロ棋士を志願したとき、師匠役を買って出て、棋士会[12]で小池のプロ入りを提案した。しかし出席者の大半が提案に反対したため、棋士総会で正式議題として取り上げられることもなく、小池のプロ入りは立ち消えとなった。
  • 甥に、鳥取在住のアマチュア強豪の松田隆(赤旗名人他)[13]
  • 詰将棋の名手としても知られた。

弟子

棋士

さらに見る 名前, 四段昇段日 ...
名前四段昇段日段位、主な活躍
加瀬純一1982年8月5日 七段
木下浩一1988年4月1日 七段(2025年連盟退会)
真田圭一1992年4月1日 八段、タイトル挑戦1回
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(2025年10月2日現在)

女流棋士

さらに見る 名前, 女流プロ入り日 ...
名前女流プロ入り日段位、主な活躍
長沢千和子1979年8月1日 女流五段
タイトル挑戦2回、一般棋戦優勝1回
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(2024年11月11日現在)

昇段履歴

  • 1935年00月00日 : 入門(2級)[3]
  • 1939年00月00日 : 初段[3]
  • 1940年00月00日 : 四段[3]
  • 1941年00月00日 : 五段[3]
  • 1941年00月00日 : 六段[3]
  • 1947年00月00日 : 七段(順位戦B級在籍)[3]
  • 1951年00月00日 : 八段(順位戦A級昇級)[3]
  • 1981年11月17日 : 贈九段(将棋の日表彰)
  • 1985年04月01日 : 引退[3]

主な成績

タイトル戦登場

  • 九段戦:2回(1954年度 = 第5期、第11期)
  • 王将戦:1回(1954年度 = 第4期)
登場回数3、獲得0

棋戦優勝

優勝合計 5回[注 1]

将棋大賞

  • 第3回(1976年度):技能賞[3]

在籍クラス

さらに見る 開始 年度, (出典)順位戦出典 ...
順位戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[15]
名人 A級 B級 C級 0
1組 2組 1組 2組
1946 1 B105 8-6
1947 2 B111 7-2
1948 3 B1 2-2
1949 4 B1 4-4
1950 5 B1 11-1
1951 6 A 09 3-5
1952 7 A 06 6-3
1953 8 A 03 5-5
1954 9 A 06 5-3
1955 10 A 05 6-4
1956 11 A 03 1-8
1957 12 B102 4-8
1958 13 B111 7-5
1959 14 B105 8-4
1960 15 B102 5-3
1961 16 B106 6-4
1962 17 B103 6-7
1963 18 B108 9-2
1964 19 A 09 6-3
1965 20 A 04 3-6
1966 21 A 08 4-4
1967 22 A 06 3-6
1968 23 B101 4-8
1969 24 B111 2-11
1970 25 B201 6-3
1971 26 B206 2-3
1972 27 B213 7-3
1973 28 B204 3-7
1974 29 B218 2-8
1975 30 B113 7-3
31-35回は欠番 / 第30回の次は第36回
1976 36 B107 3-8
1978 37 B109 4-7
1979 38 B201 4-6
1980 39 B212 6-4
1981 40 B209 5-5
1982 41 B211 1-6
1983 42 B220 3-7
1984 43 C101 2-8
1985 1985年4月1日引退
順位戦の 枠表記 は挑戦者。
右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位
( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
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年度別成績

脚注

関連項目

外部リンク

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