偉大な父の陰に隠れ、そのうえ陽のあたる場所は弟に歩かせるほど謙虚な性格で、また時代が上方歌舞伎の凋落期にもあたっていたこともあり、その名が大看板となることはついになかったが、『伊勢音頭恋寝刃』(伊勢音頭)の万次郎、『恋飛脚大和往来』(冥途の飛脚)の忠兵衛などの若衆をつとめるときは、古風な好い味を見せていた。また立役もこなし脇を固めた。
特筆すべきは「踊りは又一郎」といわれるほど舞踊は高い評価を受け、西の又一郎は東の三津五郎(七代目坂東三津五郎)とともに昭和の歌舞伎舞踊の双璧と謳われた。軽妙洒脱さに溢れ好劇家に喜ばれた。又一郎襲名で披露した『吉野山』のほか『流星』『三番叟』『三つ面』などを得意とした。