林与一
From Wikipedia, the free encyclopedia
| はやし よいち 林 与一 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 本名 | 林 與一 | ||||
| 生年月日 | 1942年2月14日(84歳) | ||||
| 出生地 |
| ||||
| 身長 | 167cm | ||||
| 血液型 | O型 | ||||
| 職業 | 俳優、元歌舞伎役者、タレント | ||||
| ジャンル | テレビ・映画・舞台 | ||||
| 活動期間 | 1957年 - 現在 | ||||
| 配偶者 |
小川知子 (1977年 - 1983年離婚[1]) 一般人女性 (1988年 - ) | ||||
| 著名な家族 |
林敏夫 (父) 北見禮子 (母) 初代中村鴈治郎 (曾祖父) 二代目林又一郎 (祖父) 樋田慶子 (従姉) | ||||
| 公式サイト | 林与一公式ホームページ | ||||
| |||||
林 与一(はやし よいち、1942年〈昭和17年〉2月14日 - )は、日本の俳優、元歌舞伎役者、タレントである。名は旧漢字表記で林 與一。日本舞踊「林流」の宗家でもある。
受賞歴
曾祖父は大阪の歌舞伎役者初代中村鴈治郎、祖父も歌舞伎役者の二代目林又一郎で、父の林敏夫(1915年 - 1945年)は、四代目坂田藤十郎や中村玉緒とは従兄弟の関係にあたり一時は歌舞伎役者として活動していた。母は映画女優の北見禮子(1915年 - 2007年)、女優の樋田慶子は母方の従姉である。また戦前・戦後を通じ「稀代の二枚目俳優」として人気だった長谷川一夫(林長二郎)は義理の大叔父にあたり、一時弟子入りしていた。
1958年、大阪歌舞伎座初舞台。1964年のNHK大河ドラマ『赤穂浪士』では、ニヒルな浪人・堀田隼人を好演し、一躍スターダムにのし上がる [2]。以後、数多くの映画やテレビドラマで主役を務め、1972年のテレビ時代劇『必殺仕掛人』では緒形拳とダブル主演を果たし、舞台では美空ひばりの相手役を10作品以上こなすなど時代劇スターとしてさまざまな作品で活躍。その見事な殺陣と甘いマスクを活かし、主人公を追い詰める敵役や女心をもてあそぶ色悪を演じる場合も少なくない。
1977年に女優・歌手の小川知子と結婚したが、後に離婚。1988年に再婚し4子を儲けている。2007年には、自宅のリフォームを巡るトラブルをネタにワイドショーの寵児となった。
人物
- 林流は、与一の祖父・又一郎が1951年に創始した。その死後、与一が二代目家元を継ぎ、その後は花柳楽瞠の長男・林啓二が三代目を継承。与一は宗家となった。
- 『笑っていいとも!』の「身内自慢コンテスト」に推薦人として参加したことがある。しかし番組スタッフは林だと気づかずにオーディションを進めてしまったが、本番で登場した時にコーナー司会をしていた関根勤に「あれ?林与一さんですか?」と気づいてもらえた。後日『笑っていいとも!増刊号』で「林与一さん大変失礼いたしました」と謝罪しオーディションの模様が放送された。ちなみに林は同コーナーで、知り合いの松平健似のインド人を紹介した。
- 林が潔癖症であることから、関根勤が出演していたラジオ番組『コサキンDEワァオ!』で関根やリスナーから長年の間、ネタにされていた。
- 生まれ変わったら「女性」になりたいと発言している。家庭では家事・洗濯・アイロンがけなどを自らこなし、TVで紹介される占いは早朝、深夜でも見ている。また一人でディズニーランドへ行ったり、「ケーキが食べたいな」と思えば電車で20分かけて食べに行くほど、感覚が乙女であると自覚している。
- Twitterも始めており[6]、ファンと交流を深めるなど気さくなところを見せる他、牛丼やカップ麺など庶民的な食事をとる様子もたびたびアップしている。
- 昭和20年から5年間、岡山県勝田郡勝田町真壁に疎開していた[7]。
