林家染三
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経歴 (2代目)
| 2代目 | |
| 本名 | 則包 長太郎 |
|---|---|
| 生年月日 | 1890年 |
| 没年月日 | 1944年8月12日 |
| 出身地 | |
| 師匠 | 2代目林家染丸 |
| 活動期間 | 1912年 - 1944年 |
| 活動内容 | 上方落語 |
| 所属 | 大八会 吉本興業 フリー |
2代目 林家 染三(はやしや そめざ、1890年 - 1944年8月12日[要出典])は、大正から昭和にかけての上方落語の落語家[注釈 1]。本名∶則包 長太郎[1]。
1912年に[要出典]2代目林家染丸の門で染三を名乗る[1]。後に師匠と背を向け大八会に参加し10年近く二流の寄席で修行した。後に同会派の幹部にまで登りつめる[要出典]。
大正の末に吉本興業に招かれ、若手の勉強会、「民衆落語研究会」[要出典]、「花月ピクニック」の同人となるなど活動していた[1]。1929年に落語家に対する経営方針に嫌気がさして[要出典]、吉本を脱退した[1]。
脱退後は「楽語荘」の同人となり、主宰者の5代目笑福亭松鶴と同調することが多かった[1]。1931年にはNHKラジオで『絵根問』を口演した記録が残る[2]。また、3代目桂梅枝の養子になっていた時期もある[要出典]。
芸風 (2代目)
線が太く素直で荒削りと評された。『片袖』『志ん猫』などの演目を得意とした。[要出典]