林志昇
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2002年1月5日、林は各地で学校を設立していた中華人民共和国で誘拐されて暴行を受けたが、成都軍区八一骨科醫院で2か月間の治療の後に回復する。 2002年1月6日、四川省双柳県人民裁判所は林の拘束を発表し、15日に誘拐犯たちは解放された。 2002年1月21日、林は釈放され、同年6月10日に双柳県人民裁判所執行部が林が設立に関わった成都嘉昊実験学校を非公開で競売にかけ、成都市教育局が落札した[2]。
2002年8月、帰国した林は著作『中国本土からの脱出』を出版し、2000年中華民国総統選挙中に中国国民党が連戦候補の当選を支援するために中国人民解放軍の軍事演習を実施するよう中国共産党に要請したと主張し、撤回を求める連戦と訴訟になった[3]。
2005年4月に『台美関係関鍵報告』を出版する。同年5月に建国党から「任務型国民大会」の議員に立候補して当選するが、6月に辞任[4]。
2006年に高雄市長選挙に立候補したが落選。その後に自身を高雄州州長と称して台湾民政府を設立する。台湾民政府の会員は36000人にまで増える[5]。
台湾とはアメリカの占領下の領土であるということを主張していた[6]。
脚注
- ↑ “60年間”. www.taiwanus.net. 2025年12月18日閲覧。
- ↑ 林-{志}-昇,《從中國大陸出逃》/(6)砸校、綁架、軟禁、出逃 無語問蒼天
- ↑ 曹文婷 (2003年6月11日). “林志昇空降電視界”. 台灣蘋果日報. オリジナルの2017年1月12日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170112220847/http://ent.appledaily.com.tw/enews/article/entertainment/20030611/100614 2016年7月9日閲覧。
{{cite news}}: 不明な引数|dead-url=は無視されます。(もしかして:|url-status=) (説明)⚠ - ↑ 愛知李登輝友の会 (2014年5月21日). “【注意喚起】林志昇集団とその分派の主張の危険性 | 日本李登輝友の会 愛知県支部”. 2025年12月18日閲覧。
- ↑ “日台関係を悪用した詐欺集団の幹部逮捕で、台湾は連日の大騒ぎ”. ライブドアニュース. 2025年12月18日閲覧。
- ↑ “米国連邦法廷で米政府と闘った林志昇の成果●黃惠瑛(2011.01.04)” (中国語). vocus (2011年1月21日). 2025年12月18日閲覧。
- ↑ 中央通訊社 (2019年11月7日). “台灣民政府林志昇去世 桃檢相驗確認意外死亡 | 社會” (中国語). 中央社 CNA. 2025年12月18日閲覧。