林春雄
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1874年、愛知県で生まれた。1881年に、林茂雄の養子となった。1897年に東京帝国大学医学部を首席で卒業し、学士号を取得。
1900年に東京帝国大学助教授に就いた。1902年から1905年まで3年間、薬理学ならびに毒物学研究のためにドイツ留学を命じられ、シュトラースブルク大学に留学した[1]。1905年に帰国した後は、京都帝国大学福岡医科大学(現九州大学)助教授となった。1905年7月、医学博士の学位を取得。1908年、東京帝国大学に薬理学第二講座が開設されて二講座制になると、、林は同大学に転じて第二講座を担任した[2]。翌1908年に教授昇格。大学では、薬物学を中心に研究に従事した。1927年、日本薬理学会の初代年会長に就任。1934年に東京帝国大学を退任した。退官後の1937年からは、逓信病院の初代院長、翌年には国立公衆衛生院の初代院長、日本薬理学会初代会長などを務めた。
- 戦後
1946年(昭和26年)7月8日、貴族院勅選議員に任じられた[3]、同和会に所属し、1947年(昭和27年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[4]。1952年に死去。墓所は雑司ヶ谷霊園にある。
栄典
家族・親族
- 父:二宮巖橿は愛知県士族[6]。
著作
- 『薬理学』吐鳳堂書店、明治34年(1901年)