柏原 (柏原市)

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日章旗 日本
都道府県 大阪府
自治体 柏原市
柏原
かしわら
日章旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
自治体 柏原市
旧自治体 柏原町
世帯数
6,668世帯
総人口
15,480
国勢調査、2011年12月31日現在)
柏原市役所柏原本庁
北緯34度34分45.5秒 東経135度37分43.11秒 / 北緯34.579306度 東経135.6286417度 / 34.579306; 135.6286417座標: 北緯34度34分45.5秒 東経135度37分43.11秒 / 北緯34.579306度 東経135.6286417度 / 34.579306; 135.6286417
所在地 〒582-0018
大阪府柏原市安堂町1番55号
柏原の位置(大阪府内)
柏原
柏原
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柏原(かしわら)は、大阪府柏原市内の広域地名。

柏原市の北西部に位置し、柏原市の前身である南河内郡(のち中河内郡)柏原町の西側の地域である。

現在の住所表記では、本郷今町大正古町堂島町河原町清州上市の各地域に該当する。

近代以前

日本 > 畿内 > 河内国 > 志紀郡 > 柏原村市村新田

この地にはかつて大和川が流れ、その西側(左岸)に難波(大坂)から河内国府を経て飛鳥・奈良方面へ続く街道が通っていた。 交通の要衝であり、かつ大きな河川が合流した直後の下流に位置したため、農業地、商業地として栄えたが同時に水害にも悩まされてきた。 特に元和6年(1620年)と寛永10年(1633年)に立て続けに起こった大水害では柏原地域に壊滅的な被害をもたらした。しかし当時の代官であった末吉孫左衛門長方は、大坂・京橋と柏原の間に物資運搬船を行き来させ、その売上で地域の復興を行うことを考えた。それが「柏原舟」の始まりであり、上流の「国分舟」と合わせて19世紀末ごろまで大いに栄えた。

元禄17年(1704年)に大和川はこの地の南で西方向へ付け替えられたが、付け替えに際し、柏原近辺では水運に大打撃が出るとして反対している。 川違えによって旧河川敷は広大な敷地になり、この地においては市村新田として開墾が行われた。敷地の中央に井路川(水路)が設けられた。 しかし平野郷付近を経て大坂へ至る河川・水路が無くなり、地域の西側において水不足により干ばつとなったため、弓削村の庄屋・西村市郎衛門が幕府に許可を得ずに大和川から水を引きこんで井路川を開削した。この件で市郎衛門は捕らえられ、一家は断絶となったが、水不足は改善し、平野郷経由の船運が再開されてこの地域の経済が発展していった。

近代以前には「本郷」「今町」「上市」の三つの集落が存在した。

近代以降

日本 > 大阪府 > 南河内郡 > 柏原村柏原町(のち中河内郡柏原町))

  • 1889年4月1日の市町村制施行に伴い、旧柏原村と市村新田が合併し、自治体としての柏原村が成立。
  • 1929年4月1日に町制を施行して柏原町に
  • 1939年7月1日に堅下村、堅上村と合併して中河内郡柏原町となる。
  • 1956年9月30日に南河内郡国分村と合併。

地理

地域

関連項目

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