柳登 From Wikipedia, the free encyclopedia 柳 登(りゅう とう、生年不詳 - 822年)は、唐代の官僚。字は成伯[1][2]。本貫は蒲州河東県[2]。 右司郎中・集賢院学士の柳芳の子として生まれた。若くして学問をたしなみ、弟の柳冕とともに該博な知識で知られた。六十数歳になって仕官し、膳部郎中に累進した。元和初年、大理寺少卿となり、刑部侍郎の許孟容ら7人とともに、憲宗の命を受けて開元以後の勅格を改定した。二度異動して太子右庶子となった。老病のため秘書監に転じたが受けず、右散騎常侍として致仕した。長慶2年(822年)、死去した。享年は九十数歳。工部尚書の位を追贈された[1][2]。 子に柳璟があった[2]。 脚注 1 2 旧唐書 1975, p. 4030. 1 2 3 4 新唐書 1975, p. 4536. 伝記資料 『旧唐書』巻149 列伝第99 『新唐書』巻132 列伝第57 参考文献 『旧唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00319-2。 『新唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00320-6。 Related Articles