自由党 (日本 1994)
1994年に結党した日本の政党
From Wikipedia, the free encyclopedia
歴史
1994年4月8日、内閣総理大臣の細川護熙は辞意を表明[2]。政治改革政権(細川内閣)が終焉の時を迎えることとなった。その後継総理として野党第1党・自民党の渡辺美智雄を擁立しようという動きが起きる[3]。
4月18日、渡辺擁立の動きに呼応して、自民党の中堅・若手議員のグループ「リベラルズ」(代表:太田誠一)の太田誠一、新井将敬、佐藤静雄、山本拓(以上無派閥)、柿澤弘治(渡辺派)の5人が自民党を離党[4]。また、19日には米田建三(渡辺派)が自民党を離党し、「リベラルズ」の議員と行動を共にしたい意向を表明した[5]。
20日、憲政記念館で記者会見を開き、柿澤、太田、新井、佐藤、山本、米田の6人に、無所属・無会派ながら前年の首班指名選挙では細川ではなく自民党総裁の河野洋平を支持した高市早苗(後の山本の妻)を加えた7人の代議士で結党した[3][6]。
なお、新井・高市は前年新党さきがけ参加を断られた共通点がある。党首は柿澤、代表幹事が太田。
政策面では、規制緩和を進め自由な経済活動を進めて自由な経済活動を保証する一方で、社会的弱者の救済、自然環境保全、食糧の安定供給や、伝統的文化の継承を重視する「ニューリベラリズム」を目指すとした[3]。
最終的に渡辺は自民党からの離党を断念。4月25日、首班指名で7人全員が新生党の羽田孜に投じ[7]、新生党、日本新党、民社党、改革の会との共同会派「改新」を結成した(この動きは社会党の連立離脱を招いた)[8]。羽田内閣で柿澤は外務大臣に、佐藤は北海道開発庁政務次官に入閣した[9]。
同年7月、海部俊樹を代表とする自由改革連合結成に参加し、同年12月の新進党結党により解散した。その後、上記7人のうち高市を除く6名は自民党に復帰(その内、柿沢・佐藤は新進党不参加で自由連合を経て復党)、高市も自民党に入党した。
その後
渡辺美智雄は1995年9月に亡くなったが、息子の渡辺喜美が第41回衆議院議員総選挙で初当選し、柿澤と佐藤が所属する中曽根派に加入、2009年8月に自ら党首となって結党したみんなの党には柿沢や新井の秘書だった者が公認候補者となり佐藤自身も支援している。
また、柿澤弘治の息子の柿沢未途はみんなの党の結成に参加し、同年の第45回衆議院議員総選挙から2期連続で同党所属の衆議院議員となったが、党内で渡辺喜美と対立した江田憲司幹事長を支持して2期目途中の2013年8月に同党を離党し、その後は結いの党を経て維新の党に参加。その後、民進党、希望の党などを経て、自民党に入党した[10]ものの、公職選挙法違反で起訴され、離党・議員辞職している[11]。
高市早苗は2025年の自民党総裁選で勝利し、総裁に選出された[12]。