栄源 (清)

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栄源(ルンユワン、転写:Žung-yuwan、光緒10年(1884年) - 1951年4月18日)はの政治家、官僚。ダウール族満洲正白旗の人。宣統帝皇后郭布羅婉容の父である。一品の恩蔭(官位継承資格)を受け、京師大学堂を卒業。宣統年間には、蒙古副都統や内務府総管などの要職を歴任した。

清朝滅亡後は、溥儀に従って東北地方へ赴き、満洲国の宮廷内で勤務し、承恩公に封じられた。

栄源は光緒10年(1884年)に生まれ、北京に設立された大学堂を卒業した。1902年から清末において官職に就き、北洋商務考察官郎中、世襲一等軽車都尉、兵部行走、さらに光緒帝陵の工事監修などの職を歴任した。

辛亥革命後は、北京の地安門外・帽児胡同にて数年間隠居生活を送ったが、1922年にその娘婉容が皇后に選ばれると、慣例により彼も輔国公に封じられ、紫禁城小朝廷における内務府総管大臣を一時務めた。

1924年11月、溥儀が宮廷を追われると、栄源も大臣職を辞した。 その後、溥儀を中心とする満洲国政権が成立すると、彼も北京から長春へ移住した。十数年の間、重要な要職には就かなかったものの、満洲国宮内府顧問官、満洲航空株式会社社長、満洲自動車製造株式会社簡任監事、満洲石油株式会社副理事長などの利益の多い職務に就いた。 満洲国崩壊後の1945年8月31日ソ連軍に捕らえられ、ハバロフスクで5年間拘束された。1950年8月1日中国へ引き渡され、翌1951年4月18日、高血圧に伴う脳出血により死去した[1]

家族

脚注

参考文献

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