栗田直八郎
From Wikipedia, the free encyclopedia
伊勢国亀山藩士の栗田雄記と、小林平蔵の養女である「しま」の長男として生まれる。現在の三重県亀山市出身[1][2]。1886年(明治19年)6月25日、歩兵少尉に任官し[3][4]、同月28日、陸軍士官学校(旧8期)を首席で卒業し[5][6]歩兵第6連隊小隊長に就任[7]。1892年(明治25年)12月、陸軍大学校(8期)を卒業[2]。ドイツ駐在を経験した[2]。
1904年(明治37年)2月、第1軍参謀に就任し日露戦争に出征[1][2]。奉天会戦後の1905年(明治38年)8月、第6師団参謀長に転じた[1][2]。1906年(明治39年)7月、参謀本部高級副官となり、同年12月、歩兵大佐に昇進[2]。1910年(明治43年)3月、皇族附武官(邦彦王付)に発令された[2]。同年5月14日、歩兵第42連隊長に転じ[8]、同年11月、陸軍少将に進級し歩兵第35旅団長に就任[1][2]。
1912年(大正元年)11月、近衛歩兵第2旅団長に就任[1][2]。1914年(大正3年)11月、教育総監部本部長に転じ、1915年(大正4年)2月、陸軍中将に進んだ[1][2]。1916年(大正5年)1月、第14師団長に親補され[2]、1919年(大正8年)4月、シベリア出兵に出動した[1]。同年11月、東京衛戍総督に着任[1][2]。1920年(大正9年)8月、待命となり、1921年(大正10年)2月、予備役編入となった[1][2]。墓所は青山霊園立山墓地1-ロ-2-10。