根岸八幡神社
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| 根岸八幡神社 | |
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鳥居と拝殿 | |
| 所在地 | 神奈川県横浜市磯子区西町1番1号 |
| 位置 | 北緯35度25分7.2秒 東経139度37分57.4秒 / 北緯35.418667度 東経139.632611度座標: 北緯35度25分7.2秒 東経139度37分57.4秒 / 北緯35.418667度 東経139.632611度 |
| 主祭神 | 八幡皇大神 |
| 社格等 | 旧村社 |
| 創建 | 543年 |
| 例祭 | 8月第2土曜日 |
| 地図 | |
創建は543年(欽明天皇4年)8月。根岸八幡神社御縁起によると、根岸の沖合の根岸湾で黄金色の光が輝き音楽を奏でるような音が響き渡った。それが7日間続いたのち、八幡川(現在の堀割川)河口近くの浜に光明と妙音が着岸して黒光りする像が姿を現した。村の古老は「これは村を守るために遠い海から来た神様だ」と言い、ひとまず村の長の家に安置することとした。村の人々は代わる代わる像を拝みに来たが、その中の子どもが取りつかれたように「我は正八幡なり。里民の苦難を救うため千里の浪を漂って来た。着岸した芝原に社を建てて遷すべし」と言い終わると正気を取り戻した。こうして、現在の八幡橋八幡神社の位置に八幡宮が建てられ、根岸村の鎮守神として毎年9月15日に例祭が行われた[1]。
1651年(慶安4年)、検地により八幡神社を含む現在の原町一帯が滝頭村に編入された。鎮守の社を失った形となった根岸村の住民は白滝不動尊を鎮守と仰いだ。八幡神社は、滝頭村の住民にとっては元々よその鎮守であり、祭礼などはおざなりになった。
1766年(明和3年)1月15日、住職の弘道の夢枕に八幡大菩薩が現れ、「我は根岸村に遷座したい。両村の住民のために二社になすよう取り計らえ」とお告げがあった。弘道は両村の役人と話し合い、八幡神社を根岸村に移すことにした。遷座先は根岸台地の麓の、宝積寺が所有する稲荷社があったところに決まり、7月15日に遷宮が行われた。
その後、かつての八幡宮の跡地には、滝頭村の鎮守として新たな八幡神社(八幡橋八幡神社)が創設された[2]。遷座した八幡神社(根岸八幡神社)は元八幡と呼ばれ、根岸村の鎮守はいずれも宝積寺を別当とする元八幡と白滝不動尊の二社となったことから、鎮守の祭りは1年交代で行うようになった。
1869年(明治2年)、神仏判然令により白滝不動尊は寺になったことから、鎮守は元八幡のみとなった。1870年(明治3年)に宝積寺が別当を解かれた時、例祭は9月15日から8月15日に変更された。1875年(明治8年)、社格を村社に定められた。1908年(明治41年)5月20日、一村一社令により伊勢宮・熊野社・浅間社・宇佐八幡・山王社が合祀された[3]。
1923年(大正12年)の関東大震災では石鳥居が倒れるなどの被害があったが、1930年(昭和5年)には石垣、1931年には石鳥居と神輿庫が復旧した。1938年(昭和13年)6月29日、山中にあった白山権現社が豪雨で倒壊し、その時に本殿に合祀された[3]。
