桂圓枝 (2代目)
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| 2代目 | |
| 本名 | 永岡 辰之助 |
|---|---|
| 生年月日 | 1882年3月27日 |
| 没年月日 | 1944年9月24日(62歳没) |
| 出身地 | |
| 師匠 | 3代目桂文枝 |
| 名跡 | 1. 2代目桂枝之助(? - 1906年) 2. 桂後八(1906年 - 1908年) 3. 2代目桂文福(1908年 - 1912年) 4. 2代目桂燕枝(1912年 - ?) 5. 2代目桂圓枝(? - 1944年) |
| 活動期間 | ? - 1944年 |
| 活動内容 | 上方落語 |
| 家族 | 笑福亭鶴八(父) 初代中村櫻彩(息子) |
| 所属 | 桂派 圓頂派 吉本 |
| 主な作品 | |
| 『夢八』 | |
2代目桂 圓枝(かつら えんし、1882年3月27日 - 1944年9月24日[1][注釈 1])は、上方落語の落語家(上方噺家)。本名: 永岡 辰之助[2]。俗に「首吊りの圓枝」ないし「夢八の圓枝」と呼ばれる[要出典]。歌舞伎役者の中村鴈之丞(後の初代中村櫻彩)は実子[2]。
笑福亭鶴八という軽口役者の息子として生まれる[2]。2代目三遊亭圓馬の妻おさんは姉とも従姉妹ともいわれる[誰によって?]。最初初代桂小文枝(後の3代目桂文枝)に入門し、2代目桂枝之助を名乗る[2]。
1906年、日露戦争に従軍し余興で落語を披露したことで隊長から後備第八歩兵連隊にちなんで桂後八と命名される[注釈 2]。すぐに除隊し高座に桂派として復帰した。[要出典]復帰直後は、同じく復員した2代目桂三木助(当時は桂手遊〔おもちゃ〕)・桂?梅橋[注釈 3]とともに「滑稽ホリョー踊り」なる踊りを演じていたという[4]。同年夏に親戚にあたる2代目三遊亭圓馬の実弟の2代目橘家圓三郎(後の初代橘ノ圓)の立ち上げた圓頂派に籍を置き地方を廻る[要出典]。
1908年に圓頂派を抜けて[要出典]、2代目桂文福と改め[2]、桂派に復帰する[要出典]。その後、1912年5月、3代目桂萬光(旧雀之助)・桂小南光(旧仁三郎)と同時に2代目桂燕枝を襲名[2]。明治末期に2代目談洲楼燕枝が来阪した際、紛らわしいため桂圓枝と改名する[2]。
弟子には桂枝三、桂小圓枝、桂枝八らがいた[2]。