桂春若
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子供のころは立川談志のファンであった[2]。1967年に大阪の御堂会館で『笑点』の公開収録が行なわれた際に、高校を無断欠席の上で観覧して楽屋で弟子入り志願しようと待ち伏せしたものの、すでに談志が楽屋を後にしていたため出会えず、結局弟子入りは叶わなかった[2]。その日の収録2本目で演芸コーナーを務めたのが3代目桂春団治であった(演目は『代書屋』)[2]。春若にとって春団治の口演を聴いたのは初めてだったが、それを契機に道頓堀角座、神戸松竹座、日立ホール(後の心斎橋筋2丁目劇場)などの寄席落語会に通い、そこでも毎回春団治の高座に接した[2]。
こうした経緯から春団治に単身で弟子入りを志願したところ、「親の承諾がいる」と両親を伴うよう返事をされる[2]。次の日曜日に両親とともに春団治宅を訪問すると母が「高校だけは出しときたい」と述べたため、春団治は「ほな学校出てからおいで、日曜は遊びにきたらいいさかい」と卒業後の弟子入りが決まる[2]。岸和田市立産業高等学校を卒業して、1970年3月に正式に入門する[1]。
師匠譲りの端正な芸風で、『有馬小便』や『京の茶漬け』『抜け雀』『米あげ笊』『天狗裁き』などをよく高座にかけている。また、噺を始める前に必ずいくつかジョークを織り交ぜる。[要出典]
西成寄席、ひらの寄席などいくつもの地方寄席を主宰している[1]。
競馬との出会いは子供の頃は近所に春木競馬場がありよく父に連れられ見に行っていた。住之江競艇が場内で放送するミニFM「FM住之江」にパーソナリティーとして出演している。[要出典]