梅北地下道 From Wikipedia, the free encyclopedia 総延長503 m[1]開通年1928年廃止年2023年 歩行者専用道路 梅北地下道 総延長 503 m[1] 開通年 1928年 廃止年 2023年 ■テンプレート(■ノート ■使い方) ■PJ道路 梅北地下道の入口(2017年12月26日) 梅北地下道(うめきたちかどう)は、かつて大阪府大阪市北区に存在していた地下道である。「北梅田地下道」「佐藤町地下道」とも呼ばれていた[2]。 2013年まで存在していた梅田貨物駅および2023年まで地上に存在していた梅田貨物線の地下をくぐる形で交差していた。 当時、大阪駅の北部には大淀地区(現在の新梅田シティ南側)から梅田の東側・茶屋町方面へ抜ける「梅北道路」が存在したものの、1928年(昭和3年)12月1日に開業した梅田貨物駅の建設に伴い廃止された。それによって、当時茶屋町に存在していた大阪市済美第一尋常高等小学校(のちの大阪市立梅田東小学校・1989年閉校)に通っていた児童が通学のために貨物駅を1kmも遠回りせざるを得なくなったことから、地元有力者らは「梅北道路復活期成同盟会」を結成し、鉄道省(現・国土交通省)に陳情を行った[3][4]。その結果、駅構内の線路地下を東西に貫通する地下道が建設され、1928年4月に開通した[5]。 その後、1991年の新梅田シティ竣工時に内壁が塗装され、街灯や換気設備なども再整備された[2]。 1987年に国鉄が民営化し、当時の国鉄清算事業団は赤字解消のため梅田貨物駅の売却を決断した[6]。跡地の再開発計画は二転三転したが、2004年になって開発計画が策定、第1期となるグランフロント大阪の着工に伴い地下道の東側約300mが2006年に閉鎖された[7]。その後2013年3月31日に梅田貨物駅が廃止され、跡地に第2期となるグラングリーン大阪も着工。工事が進んだことから、2017年12月19日に東側約150mが閉鎖された[8]。その後、2023年2月13日に梅田貨物線が地下化したことを受け、残りの区間が同年11月8日に閉鎖され、梅北地下道は廃止された[9]。 出典 ↑ 三浦行雄「地下道・地下街」『大阪春秋』通巻93号 50ページ 1 2 “梅田貨物駅と歴史を共にした「梅北地下道」、2024年に廃止に”. 鉄道ホビダス. カルチュア・エンタテインメント (2022年7月14日). 2026年1月15日閲覧。 ↑ 梅北道路(北梅田地下道) - 梅田東まち歩き ↑ “都民が驚愕「グラングリーン大阪」の“昔の姿”とは。府民の多くが懐かしむ?「貨物駅」時代はどんな様子だったか”. 東洋経済オンライン. 東洋経済新報社 (2025年4月13日). 2026年1月15日閲覧。 ↑ 『モダン都市の誕生 大阪の街・東京の街』吉川弘文館 74ページ ↑ “梅田の広大な貨物駅 なぜ長く残った 「大阪最後の一等地」が未だ空白の理由 どう変化?”. 乗りものニュース. メディア・ヴァーグ (2023年2月9日). 2026年1月15日閲覧。 ↑ 「さらば梅北地下道 地上に新道」『日本経済新聞』2017年12月19日。2026年1月15日閲覧。 ↑ 「梅北地下道、19日にお別れ URが大部分閉鎖」『日本経済新聞』2017年12月4日。2026年1月15日閲覧。 ↑ “95年の歴史に幕 大阪駅側と梅田スカイビル側を結ぶ「梅北地下道」閉鎖 うめきたエリア再開発で”. カンテレNEWS. 関西テレビ放送 (2023年11月9日). 2026年1月15日閲覧。 関連項目 梅田信号場 梅田貨物線 うめきた 大阪駅 新梅田シティ 西梅田一番踏切 - こちらも梅田貨物線の地下化に伴い廃止。 Related Articles