梅原多絵
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1956年12月12日、東京都に生まれ、下町で育つ。4人家族で兄が一人[1]。父親は東京都内の会社の重役(当時43歳)[2]。
錦糸町中学[注釈 1]1年在籍中の1969年12月8日[注釈 2]、ノーベル書房から写真集『ニンフェット 12歳の神話』が出版される。川本耕次によると、我が国のロリータヌード写真集はこの本から始まったとする。ただし、おかずとして企図されたものではなく、当時の「性開放」の潮流という文脈に従って制作されたものらしい[注釈 3][3]。女優の高峰秀子が演出を担当した。モデルは出版社が児童劇団への打診やデパートでの物色などで約100人ほど探したが見つからない中、出版社に出入りしている元俳優が、女の子がいる知人女性(映画撮影所の結髪屋=床山)を紹介した[4]。この女性の子供が多絵だった。娘時代に新劇の女優だった母・登ち[注釈 4]から話を聞いた多絵は、いとも簡単に承諾したという[5]。なお、多絵をノーベル書房の編集者に紹介した元俳優とは、東映児童演劇研修所次長の城島六郎である[6]。
撮影は、1969年7月から8月の夏休み期間に、軽井沢・蓼科・白樺湖・九十九里浜で行われた。当初は信州一円での撮影を予定していたが、同じような風景ばかりになるため九十九里浜での撮影を追加した[4]。撮影時、初潮も迎えていなかった。本人によると、裸になるのは恥ずかしくなかったが、自身の裸が綺麗かどうかは分からないと答えている[5]。軽井沢は人が多いので、早朝に撮影したり、撮影場所を探すために色々回ることとなった。撮影時の指導をお願いした高峰秀子の別荘は梅原龍三郎の別荘の隣にあったため、梅原龍三郎の別荘内でも撮影をさせてもらうことになった[4]。撮影には梅原龍三郎も立ち会い、「こっちから撮れ」などと指図するのでウザがられたという[3]。
梅原多絵は梅原龍三郎の孫であるとする文献もあるが[3]、二人の間に血縁関係はない。梅原龍三郎の別荘内で撮影させてもらったことから、ノーベル書房の編集長・篠原央憲(篠原啓介)の発案で梅原多絵という芸名を使用したものである[4]。
1969年12月8日、『ニンフェット 12歳の神話』が店頭に並ぶと、最初の2日間で初版3万部は売り切れ、問い合わせの電話が鳴り響いた[7]。また、ノーベル書房に寄せられた手紙は約1000通に達し、なかには「中学校の教師をしておりますが、恥ずかしくて本屋では買えませんので、直接お送りください」というものも含まれ、ノーベル書房に直接買いに来た人も50人くらいいたという[6]。
ロリータモデルとして注目された後、1970年1月より東映児童演劇研修所に入る。以前から女優かモデルになりたいと意向を示していた多絵は、この写真集がきっかけで女優になる決心を固めた、とする報道もある[6][8]。
1971年6月5日、『ニンフェット 12歳の神話』を改題・再編集した『エウロペ 12歳の神話』が三星社書房から発売。
テレビ出演のオファーも何度かあったが、本人の素質を大事に育てたいという劇団の方針により断る。1972年1月10日から同年4月7日まで、CX系列で放送されたテレビドラマ『むらさき心中』に出演。ドラマ初挑戦で、渡辺美佐子の息子・小林洋樹と心中する高校生を演じた[注釈 5]。中学3年生在籍中、身長158センチ、体操部に所属した[9]。「知らない人からラブレターをもらったこともあるし、心中の意味だってわかる」という趣旨の発言が残っている[8]。
1977年8月25日、ブロンズ社から『エウロペ 12歳の神話』の再版『エウロペ 12歳の神話 新装版』が出版され、翌1978年12月25日、ブロンズ社から未使用カットを収録した『エウロペ 12歳の神話 PART II』が出版されている。
その後、アテネ・フランセ等で働いた後、1978年に結婚。その結婚式には剣持加津夫も出席し、高峰秀子は祝電を送っている[10]。
『ニンフェット 12歳の神話』
1969年12月8日発売[注釈 6]。判型はA4変型(26cm)、全88頁、カラー8頁、モノクロ80頁、すべてグラビア刷り、定価980円[2][注釈 7]。本文には全裸のクローズアップ、波と戯れるシーン(九十九里浜)、軽井沢の高峰秀子の別荘で撮影した樹陰に憩う少女、草原を駆けるヌードのニンフといったカットが掲載されている。本写真集のパンフレットの宣伝文には「裸そのもの、天使そのものの美しさと同時に、来たるべき大人への成熟を前に神秘な怖れと妖しい光を宿した美しさをたたえる」と記載されていた[2]。
企画を立てたのは1969年5月頃で、ノーベル書房社長・山本一哉によると「ヌードばかりあふれている現代に、男でも女でもない、妖精のような少女のヌードを描こうと思ったのです。年齢を何歳に置くかが大問題でしたが、十二歳のころの少女は大人と子供の境にあってあどけない美しさを秘めています。それで十二歳のモデル起用に踏み切ったったのです。」と12歳の少女を起用した意図を説明している[2]。
カメラマンは剣持加津夫、テーマの構成は女優の高峰秀子が当たり、「子役時代から今日まで苦労してきた女優であり、少女のみが持っている妖精の美しさを理解してもらえる」として白羽の矢を立てたという。また、写真集には中村メイ子の娘・神津カンナの詩も掲載されており、同じ12歳同士という点で起用したという[2]。
当時、この写真集のパンフレットを入手した一部の人から、自分の娘を裸にした母親の感覚に首を傾げる向きもあったが、雑誌の取材によると「この写真集が、娘の成長の記録にもなり、やがて多絵がお嫁にいくとき持っていく記念になれば……と考えて承諾した」という[2][12]。なお、本人にヌードモデルの件について話したところ「撮影が夏休みの時とあって、海や山へ遊びにいけるのかと思ってうれしかったのでしょうか、『いいわ』と簡単に返事をするのです。私の方が面くらったくらい、本当の裸になって写真をとってもらうのよと念を押しましたら『そんなの平気よ』とケロリとしているんです」と多絵自身も簡単に承諾したとする[2]。軽井沢での撮影では「いよいよ撮影に入るという前の晩、体にパンツのゴムひもの跡が残ってはいけないと、多絵ちゃんの下着をはずして寝かせつけたり、いつも髪をきれいに櫛けずってヌードが美しくとれるように髪の艶を出したり」と熱心に協力したという[13]。
撮影の構図にアイデアを提供した高峰秀子は「少女歳の“十二歳”という年齢は、やがて女になることへの恥じらいと、恐ろしさとがないまぜになった期待にふるえる年ごろです。鏡の中に自分の乳房を映し未知の自分を探ろうとします。その“未成熟の美”に賛同したのです。あの少女はゴリゴリした体をしていても、体の線の美しい子でした。それが写真で生きれば成功ですよ」と述べている[14]。
初版、二版の計4万部を売り切り、増刷中の第三版も予約で満員となった[15]。返送された読者カードによると、買い手は十代後半から二十代前半が最も多く、次に多いのが五十代で、三十代、四十代が比較的少ないとされた[15]。なお、本写真集の発行にあたり「外部の人から、子供でも取り締まりの対象になるから」修正した方がいいと注意されたため、弁護士と相談した結果、割れ目に修正が行われたが、取越し苦労だったとして、翌1970年2月22日に無修正版の『12歳の神話 デラックス版』を発売。判型はA4変型(30cm)ケース入り、132頁[注釈 8]、定価1900円。『デラックス版』発売に伴い、既存の写真集は『普及版』として販売された[11]。
『エウロペ 12歳の神話』
書籍
写真集
- 剣持加津夫(写真)、高峰秀子(文)『ニンフェット 12歳の神話』ノーベル書房、東京都新宿区西大久保、1969年11月25日。 NCID BA35092177。
- 剣持加津夫(写真)『12歳の神話 デラックス版』ノーベル書房、東京都新宿区西大久保、1970年2月22日。ASIN B0CKT5HVVR。 NCID BB19909818。
- 剣持加津夫(写真)、高峰秀子(文)『エウロペ 12歳の神話』三星社書房、東京都千代田区神田神保町、1971年6月5日。ASIN B085XHNLC8。
- 剣持加津夫(写真)、高峰秀子(文)『エウロペ 12歳の神話 新装版』ブロンズ社、東京都千代田区神田神保町、1977年8月25日。 NCID BC04462877。国立国会図書館サーチ:R100000001-I2611B10630440。
- 剣持加津夫(写真)『エウロペ 12歳の神話 PART II』ブロンズ社、東京都千代田区神田神保町、1978年12月25日。 NCID BC04463064。国立国会図書館サーチ:R100000001-I2611B10630442。
- 杉本五郎『アンティック少女写真館』さーくる社、1987年3月。
- 映画フィルム収集家・杉本五郎の作品集。「メイキング・オブ12歳の神話」が掲載されている。
雑誌
- 「十二さいのヌードモデル」『週刊少女フレンド』新年第1号(1970年1月1日号)、講談社、1969年12月9日、192-193頁、doi:10.11501/1830059。
- 「あの12歳のヌードモデル 梅原多絵ちゃんが〝女優サン〟になる」『週刊平凡』第11巻51号(1969年12月25日号)、平凡出版、1969年12月25日、42-43頁、doi:10.11501/1851104。[注釈 9]
- 「多絵ちゃんどうして裸になったの?」『TEEN LOOK』第3巻7号(1970年2月10日号)、主婦と生活社、1970年1月28日、15-17頁、doi:10.11501/1804250。[注釈 10]
- 「こんにちは! 12才の素肌」『明星』第19巻4号(1970年4月号)、集英社、1970年4月1日、28-29頁、doi:10.11501/1721821。
- 「帰らざる少女」『週刊朝日』第76巻27号(1971年6月25日号)、朝日新聞社、1971年6月25日、149-152頁、NCID AN10051537。
- 内田康夫「(あなたは、ここまでわりきれますか…)ヌードになった少女たち」『週刊少女フレンド』第51号(1970年12月15日号)、講談社、1970年11月24日、135-139頁、doi:10.11501/1830111。