森内敬子
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大阪樟蔭女子大学在学中の1963年から、具体美術協会を設立した吉原治良の指導を受ける[1]。大学では美術部に所属していた[2]が、1964年に中退[2]。1965年1月、内科画廊にて初の個展を開く[1]。その後渡米し、ニューヨークで活動した[1]。森内がニューヨークで借りたアトリエが入っていたビルの屋上には偶然、抽象表現主義を代表する画家の一人であるアド・ラインハート(英語版)が居住していた[3]。
具体美術協会に最後の会員として入会し[注釈 1]、1972年の解散まで出品を続けた[1][2]。具体美術協会の解散後も、彫刻、版画、壁画などジャンルを問わず多様な作品を制作し続けた。
1983年にアーヘン(旧西ドイツ)にて、パーソナルコンピュータ登場後の人間の意識エネルギーについて専門的に学ぶ[4]。
2020年の京都祇園祭にて、当時流行していたCOVID-19拡大防止のため、厄祓いとして京都中を練り歩く「山鉾巡行」が中止となったことを受け、森内がその代わりにという意図で、京都高島屋に長刀鉾をモチーフにしたアートを多数展示した[要出典]。
2021年時点で創作活動を継続中と紹介されている[2]。