森川万智子
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福岡県太宰府市生まれ[1]。山口県立下関南高等学校卒[1]。1966年から1986年まで郵便局員として労働運動に関わる[1]。その後、出版社・印刷会社勤務を経て、フリーライターに転じた[1]。福岡に帰郷後は小規模な老人介護施設を経営した[1]。
韓国人女性の文玉珠は18歳でビルマ(現在のミャンマー)に連行され、21歳で終戦を迎えた[4]。1992年、文は日本軍の「慰安婦」として名乗り出た[4]。森川は、かつて勤めていた郵便局に文が軍事貯金をしていたことを知り、旧郵政省に払い戻しを求める活動を支援するようになった[4]。「慰安婦だった証拠がある人の記録をしよう」と思い立ち、同年から1995年まで自費で18回韓国に行き、文にインタビューをした[4]。1995年からミャンマーの現地調査を行い、文が語った慰安婦時代の体験を記録した[1]。調査の結果は『文玉珠 ビルマ戦線楯師団の「慰安婦」だった私』(梨の木舎 1996年)としてまとめられ、4000部が発行された[4]。同書は山川菊栄賞を受賞した[4]。森川は1996年に文が亡くなってからも調査を続け[4]、1997年から1998年にかけてミャンマーに滞在し、200人以上の聞き取りや、慰安所とされた建物の調査を行った[1]。
2005年、戦後60年を記念して『文玉珠 ビルマ戦線楯師団の「慰安婦」だった私』が韓国で翻訳出版された[4]。手掛けたのは2004年から慰安婦の証言集作りに取り組む女性団体「挺身隊ハルモニと共にする市民の会」で、1000部が発行された[4]。