森忠典 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 江戸時代後期 - 明治時代生誕 弘化4年12月23日(1848年1月28日)死没 明治16年(1883年)7月8日改名 遊亀丸(幼名)、忠典 凡例森忠典時代 江戸時代後期 - 明治時代生誕 弘化4年12月23日(1848年1月28日)死没 明治16年(1883年)7月8日改名 遊亀丸(幼名)、忠典墓所 東京都港区東麻布の瑠璃光寺官位 従五位下美作守幕府 江戸幕府主君 徳川家茂、慶喜藩 播磨赤穂藩主氏族 森氏父母 森忠徳、酒井忠嗣娘兄弟 忠弘、忠典、忠儀、四男、森某養女子 忠儀テンプレートを表示 森 忠典(もり ただつね)は、播磨国赤穂藩11代藩主。赤穂藩森家17代。 弘化4年(1847年)12月23日、10代藩主・森忠徳の次男として生まれる。万治元年(1860年)12月16日、従五位下・美作守に叙位・任官する。文久2年(1862年)1月21日、父の隠居により家督を継ぐ。12月9日には保守派で権勢を振るっていた森主税と村上真輔が攘夷派の下級藩士によって暗殺され、その後は森続之丞が若年の忠典に代わって藩政を執ったが、このために赤穂藩は尊王派・佐幕派で分裂して藩論がまとまらずに混乱した。 元治元年(1864年)の第一次長州征討、慶応2年(1866年)に第二次長州征討では幕府方として大坂警備を務めた。 慶応4年(1868年)1月、鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が敗れた後の1月12日に新政府に与した。直後の3月19日に家督を同母弟で養子の忠儀に家督を譲って隠居した。明治16年(1883年)7月8日に死去した。享年37。 系譜 父:森忠徳(1818-1881) 母:酒井忠嗣の娘 養子 男子:森忠儀(1850-1885) - 森忠徳の三男 表話編歴森氏赤穂藩11代藩主 (1862年 - 1868年)池田家 池田政綱1615-1631 池田輝興1631-1645 改易 浅野家 浅野長直1645-1671 浅野長友1671-1675 浅野長矩1675-1701 改易→赤穂事件 永井家 永井直敬1701-1706 信濃飯山藩へ転封 森家 森長直1706-1722 森長孝1722-1723 森長生1723-1731 森政房1731-1746 森忠洪1747-1769 森忠興1769-1780 森忠賛1780-1801 森忠哲1801-1807 森忠敬1807-1824 森忠貫1824-1827 森忠徳1827-1862 森忠典1862-1868 森忠儀1868-1871 廃藩置県 Related Articles