森田隆朝
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大正14年(1925年)、鳥取県日南町の寺院の3男として生まれた。同年、一家で現在の境港市に移住。父は托鉢をして集めた浄財で託児所を作り、孤児や恵まれない子どもを養育した。昭和18年(1943年)鳥取県立米子中学校(現・鳥取県立米子東高等学校)卒業[3]。昭和29年(1954年)米子医科大学(現・鳥取大学医学部)卒業[3]、産婦人科教室に入局[4]。昭和35年(1960年)に米子市で森田医院を開業。その後は産婦人科医として勤務しながら「日本・ネパール人づくり協力会」の会長を務め、日本とネパールの人的協力、交流を通して、人材育成に努めた。鳥取県教育委員会委員長を務めたのち、平成3年(1991年)に米子市長選挙に立候補して初当選。平成15年(2003年)まで3期12年務めた[5]。平成19年(2007年)5月13日、急性心不全のため米子市の病院で死去。81歳没[6]。死没日付をもって従五位に叙された[7]。