植村文楽軒
初世
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初代
2世以降
代数については、諸説や異論がある。
- 2世は初世の妻・てるの甥で本名を正井貞蔵。のちに嘉兵衛と名乗る。1819年6月12日(36才)没。1811年に堀江市之側にあった小屋を博労町の博労町稲荷社・現在の難波神社境内に転移させ興行を始める。これは「いなりの芝居」と呼ばれた。
- 4世(3世とも)は初世の孫にあたり、2世貞蔵の子で本名を正井大蔵。のちに植村姓に改姓し、楽翁・文楽翁を名乗る。1887年2月15日(75才)没。「いなりの芝居」の経営を引き継ぎ隆盛に導いたが、天保の改革による宮地芝居の禁止で各地を転々としながら苦難の興行を続けた。1856年には再度博労町の稲荷社境内に戻り興行を復活した。この頃から「文楽軒の芝居」「文楽芝居」などと呼ばれるようになった。
のち、小屋を1872年に松島新地に移転させ、劇場を新築し「松島文楽座」を開場した。その後、1884年に御霊神社内に劇場を再度移転させ「御霊文楽座」を開場し、文楽座の黄金期をもたらした。