日本橋 (大阪市)
大阪市の繁華街
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概要
東京都中央区の日本橋の読み方が「にほんばし」なのに対して、こちらは「にっぽんばし」と読む。地域住民はしばしば「にほんばし」とも呼び、店名などの読みが「にほんばし」と表記されることもある[6][7]。
橋梁の日本橋南詰から南へ堺筋沿いに延びる南北約1.6kmの細長い町で、北から順に1 - 2丁目が中央区、3 - 5丁目が浪速区となる。堺筋東側の南端は恵美須交差点(国道25号)、同西側の南端は恵美須入路交差点(阪神高速1号環状線えびす町入口、名呉橋跡)。浪速区側は日本橋東(1 - 3丁目)と日本橋西(1 - 2丁目)が東西に隣接する。
難波からも徒歩圏内であり、広義では繁華街のミナミに含まれることもある。浪速区側(南側)の堺筋を中心とした「でんでんタウン」は電気街・オタク(サブカルチャー)の街として知られるが、電気街としては全盛期と比較すると規模を縮小している。
河川
日本一

中央区日本橋1丁目は「日本一」(にっぽんいち)と通称される。堺筋と千日前通が交差する日本橋1交差点付近には、日本一にあやかりたい建物や看板がある。交差点付近にあった住友銀行日本一支店は三井住友銀行となった後、2004年10月15日に難波支店に統合されATMが設置されている。三菱UFJ銀行日本一支店は店名に日本一が残るものの、2011年1月17日に移転してブランチインブランチとなり(難波支店、難波駅前支店、日本一支店の3店舗が同居)、2020年現在はなんばスカイオ24階にある。
歴史・概要
上町台地からやや西部に位置し、近世には紀州街道の一部区間である堺筋に面して旅籠や木賃宿が建ち並び、長町(ながまち)と呼ばれていた。1792年(寛政4年)に長町1 - 9丁目のうち現在の中央区側に当たる長町1 - 5丁目が日本橋1 - 5丁目に改称され、長町は現在の浪速区側にあたる6 - 9丁目のみとなった。
1872年に日本橋1 - 5丁目と長町6 - 9丁目が日本橋筋1 - 5丁目に改編され、1879年より全域南区に属した。しかし、1943年に旧:長町6 - 9丁目に当たる日本橋筋3 - 5丁目が浪速区へ転属となった。
1980年に浪速区日本橋筋3 - 5丁目が日本橋東の西半と東関谷町を編入した上で日本橋3 - 5丁目に改称。1989年には南区日本橋筋1 - 2丁目が高津町三・七・八・九・十番丁と御蔵跡町を編入した上で日本橋1 - 2丁目に改称され、同時に南区と東区の合区により中央区へ転属となった。
近世から長町6 - 9丁目の東西に隣接する東成郡天王寺村や西成郡難波村・今宮村の各一部に当たる長町裏[注 1]には貧民街が形成されていたが、1903年の第5回内国勧業博覧会の開催に合わせて一掃され、堺筋に面した不良木賃宿(ドヤ街)の多くも西成区の釜ヶ崎(あいりん地区)へ移転した。
1918年(大正7年)8月11日、天王寺公会堂で開催された米価格高騰対策市民大会の参加者が日本橋に流れて、町内の米店を襲撃(米騒動)。米を安価で販売することを強要[8]。翌日も群衆は日本橋一帯の路上に溢れて、米屋に対して圧力をかけ続けた[9]。
大正以降は古書店街に姿を変えたが、第二次世界大戦後には「でんでんタウン」と呼ばれる電気街へと変貌した。東京の秋葉原、名古屋の大須と並ぶ電気街として、「東のアキバ、西のポンバシ」とも称される。
ただし、電気街となっているのはおおむね浪速区側である。境界となるのが「なんさん通り」で、日本橋3交差点以東は「御蔵跡通り」と呼ばれる。中央区側では、道頓堀・千日前に隣接する堺筋以西が半ば歓楽街化しているほか、堺筋以東には国立文楽劇場、かつての高津町九・十番丁界隈には「大阪の台所」と称される黒門市場、御蔵跡通り付近には履物問屋街(通称「はきはきタウン」)があり、電気街以外の表情も見せる。なお、日本橋の地名の発祥である橋梁としての日本橋に最も近いのは中央区側の1丁目である。
2009年からは「日本橋プロジェクト」という地域振興が行われており、いとうのいぢがデザイン・作画を担当したイメージキャラクター「音々(ねおん)ちゃん」と、妹の「光(ひかり)ちゃん」が設定されている[10]。
世帯数と人口
2019年(平成31年)3月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
- 中央区
| 1995年(平成7年) | 3,238人 | [11] | |
| 2000年(平成12年) | 3,085人 | [12] | |
| 2005年(平成17年) | 2,639人 | [13] | |
| 2010年(平成22年) | 3,329人 | [14] | |
| 2015年(平成27年) | 3,417人 | [15] |
- 浪速区
| 1995年(平成7年) | 2,557人 | [11] | |
| 2000年(平成12年) | 2,565人 | [12] | |
| 2005年(平成17年) | 2,890人 | [13] | |
| 2010年(平成22年) | 4,070人 | [14] | |
| 2015年(平成27年) | 3,810人 | [15] |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
- 中央区
| 1995年(平成7年) | 1,783世帯 | [11] | |
| 2000年(平成12年) | 1,810世帯 | [12] | |
| 2005年(平成17年) | 1,663世帯 | [13] | |
| 2010年(平成22年) | 2,197世帯 | [14] | |
| 2015年(平成27年) | 2,487世帯 | [15] |
- 浪速区
| 1995年(平成7年) | 1,182世帯 | [11] | |
| 2000年(平成12年) | 1,318世帯 | [12] | |
| 2005年(平成17年) | 1,492世帯 | [13] | |
| 2010年(平成22年) | 2,721世帯 | [14] | |
| 2015年(平成27年) | 2,579世帯 | [15] |
事業所
施設
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商業施設
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公園
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